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【ASD】思い通りにならないことを知る

私は時々テレビで放送されているペットの番組が苦手だ。
それは特定の種が嫌いという理由ではなく、分かり合えないことにイライラしてしまうから。

共通の言葉があるわけでもない動物に対して、分かり合えるとは到底思っていない。
ただ番組を観ていると、こっちが歩み寄ろうとしているのに、なんで思い通り動いてくれないの?といつの間にかイライラしている自分がいる。
思っても無い言葉を勝手に喋らせる演出も観ていて痛々しく感じてしまう。

私はどうやら、思い通りにいかない現実をなかなか受け入れられない特性があるらしい。
この時も同じ理由で悩んで下した決断だった。

子育てにも同じことが言えると思う。
だから私は産む選択をしようとは思わないし、ペットを飼うことも慎重になっている。
癒しが欲しい、話し相手が欲しい、それはただの私側の一願望に過ぎないからだ。
当たり前だが、お金を出して生命を飼うという選択は、生半可な気持ちですることじゃない。
この世界は、自分の思い通りに動いてくれるものではないのだ。

私の最近の課題は、思い通りにならなかった後の行動の取り方だと感じている。
ASDの切り替え下手が邪魔してなのか、思い通りにならない現実を受け入れることはできても、その後になって嫌な気持ちを引きずったり、機嫌が悪くなったりしてしまうことが多い。
文字にすると確実に甘えなのだが、本当にびっくりするほど「よし、切り替えて行こう!」ができないのだ。

自分の力ではどうにもできないフェーズに差し掛かかっても、「ああしとけばいけたんじゃ?」「あの人がこんな発言さえしなければ今頃は…」とブツブツ独り言を言い、その不満を態度として表出させてしまう。そんなことの繰り返し。

ペットにしろ、子供にしろ、自分の思い通りに動かないという前提条件を飲んでから「育てる」という決断を下さないといけない。
自分のものにしてから、やっぱりやめたが通じないのが現実。そんなことをしてしまう人間に、育てる資格は与えられない。
だから、自分の感情すらコントロールできない私にも、「生命を育てる」資格はないのだ。

それでもなお、自分の力で思い通りになると思っている人たちが、事件を起こすのだろうと思う。
忙しいからとか、他の優先したい事項が出てきたからとか、そういう言葉を使用して平気で見捨てる人は多い。
中には「忙しいから手に負えない」現実を「一人で寂しい人に引き渡してあげる」という言葉で、己の行動を正当化してしまう人も存在する。(私の父親のことだ)

想像通りにいかなかった現実にイライラしてしまうのは、まだ心のどこかで自分の思い通りになると思い込んでいるからだ。
まずは、人生は思い通りにならないことを知る。
そして、その事実を踏まえて覚悟を決める。
それが大切なのだと、改めて感じる。

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栖山 依夜
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