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推しを救える気がしていた話

私は数年間、とある女性を応援し続けている。
名前を言えば大抵の人がわかるし、ドラマや映画でその顔を見たことがある人は沢山いる。
そんな推しを、救えたかもしれない話だ。

もちろん、私はただの一オタクに過ぎない。
これから書き出す内容も妄想と思われてしまえばそれまでだし、もしも奇跡的にその推しがこの記事を目にしたとして、「いや、違いますけど」と一発言えば、私は二つの意味で終わる。

けれど、書かないよりマシだと思った。
私は今でも自分の行動に後悔し続けているし、今後もきっと、忘れる事ができないからだ。


それは、とあるイベントに行った時に起こった。

開催場所は1時間に数本のバスを経由しても1時間以上かかり、近くにホテルもなく、イベントの終了時間には帰りが間に合わなくなってしまうような辺鄙なところだった。
ただ会えるだけなら、私はきっと足を運ばなかっただろう。

そんな私がこれほどまでに悩んだ理由は簡単で、そうそう行く機会がないような田舎で行われる、間違いなく閉鎖的な空間で推しの話が聞ける、またとないチャンスだったからだ。

『サインが欲しい。あわよくば、話してみたい。』
ただそれだけだった。
そう、それは言うなれば、ただ女性の裸体を見たいという不純な動機と肩を並べられるくらい。

何を隠そう、そのイベントは
推しが脱いだ作品の上映会だった。


私はラブシーンが苦手だ。
必要のないものだと感じてしまう。
いつまで経っても「穢らわしい」という印象が私の中で消えずに残り続け、今に至ってしまった。

映画のラブシーンなんて、要らないと思う。
毛布の上から撮る。足元だけを撮る。
わざわざ裸体を撮らずとも、それだけで体の関係は描けるからだ。
寧ろ、それこそが監督の腕の見せ所なんじゃないかとすら思う。

何も無理やり脱がす必要なんてない。
畳の上で、車の中で、壁に押し付けて、そんなの全部要らない。どうしてレイプシーンが必要だと思ったのか。
私は、ずっと不思議に思っている。何年も。

そんな思いを抱え続け、行きたいと行きたくないを毎日のように行き来する中、「やらない後悔よりやる後悔」なんて推し活では絶対に使わないような言葉にやられて結局行くことを決意した。
思えば、私はここで負けてしまったのだろう。

推しに会えるのに、嬉しくない。
イベントが近づくまでの数ヶ月、私は日に日に憂鬱な気持ちになっていった。
「わざわざ遠くから来た、ただ好きな人の裸を見たいだけの人間だと思われたらどうしよう。」
何も弁解する術はないのに、そんなことでずっと悩み続けていた。


当日、私ははっきりと確信した。
自分が場違いだということを理解するのに、5秒もかからなかった。

会場は見事に、男、男、男。

内容が内容だから。
そうとしか思えないような年齢層だった。
親か、それよりも少し下くらいの男性数人が女性の裸を観るために足を運んでいる現実。
もちろん、そうじゃない人もいるかもしれない。

けれど、私は気味悪さと少しの恐怖を感じた。
いくら映画とは言え、席が離れているとはいえ、世界にはそれなりにいるはずの女性が「自分」しかいないことが、正直恐ろしかった。

上映が始まってから、ただただ無心で2時間座り続けた。
好きな女優の作品だったはずなのに、驚くくらいに何も印象に残らなかった。
いや、思い出したくなかったのだ。

いくらフィクションであれ、好きでもない男に全てを晒け出すということ。映像として全て記録されるということ。そして、それをコンテンツとして消費する人間たちがいること。
私はそれらの現実を目の当たりにしていた。
もうすぐ大好きな人に会えるというのに。

私は今も、作品を観たことを後悔している。


上映後、その映画監督と推しが感想を語り合うトークショーのようなものが行われた。
それを目当てに、はるばる遠方からやってきた私だったが、もう集中して話を聞く労力など残っていなかった。

印象に残ったシーンだの、撮影秘話など、当たり障りのない話が続き、トークも終盤を迎えた頃。

“何か質問はないか。”

おそらく時間が余ったのだろう、司会者が私たち観客に問いかけた。
その瞬間、私は全身が硬直してしまった。
話したい気持ちと、話したくない気持ち、話せない気持ちが脳内で交錯した。

二度と訪れないであろう機会だった。
同時に、それが今日でなければ良かったと強く思った。

誰も手を挙げる人はいない。
司会者がもう一度確認をし、微妙な空気が流れ始める。

タイムリミットが迫る中、私は冷や汗をかきながら、手汗でベタベタになった拳を握りしめて、素知らぬ顔をしてしまった。

怖かったのだ。

一つは要らない発言をして、推しに嫌われることを恐れたこと。
そしてもう一つは、そんな作品を観に来ている自分が同類と思われてしまうのを恐れていたこと。
私は保身のために、何もすることができなかった。

今思えば、発言をした方が良くも悪くも〈違う存在〉になれたのかもしれない。推しと話すことも、記憶に残してもらうことも。
瞬発力のない私は、おちおちそんなことを考えていられる余裕はなかった。

少しの沈黙のあと、全てのプログラムを終えたイベントは、あっけなく終わりを迎えてしまった。
もちろん、言葉を交わすことができないまま。

結局、その場にいた女性は私と彼女の二人だけだった。
一般人と女優という立場。
その距離は途方もないくらい遠い。
けれど、同じ「女性」だった。

お得意のASD特性を発動して、
「本当に、性描写は必要だったんですか?」
なんてドストレートに言ってやればよかったと思う。

それができなくても、

なぜ、この映画を撮ろうと思ったのか。
なぜ、そのシーンを入れようと思ったのか。

そう言えるチャンスはいくらでもあった。
ただ私が感じた些細な疑問を、私の言葉で伝えれば良かったのだ。
でも、それができなかった。

あの時感じた疑問をぶつけておけばよかった。
完璧な文章を、正確な言葉で、一発で伝わるように、そして嫌われないように。
そんなことを考えず、ただ手を挙げていればよかったのだ。
たとえそれが、私の大きな勘違いだったとしても。

私はただのしがないオタクの一人にすぎない。
救うなんて大それたことを言える立場ではない。
でも、もし私の「好きな人」が、あの場にいたとき。撮影をしたとき、少しでも嫌な思いをしていた瞬間があったのだとすれば。
あの一瞬で、何かを変えられたかもしれなかった。

小さな自己愛のために、その小さな一歩を踏み出し損ねてしまったのかと思うと、私は悔しくてならない。

あの日から2年が過ぎた。
貰ったサインは、あの日からずっと飾れないままだ。
推しのことも、今までのような目で見ることができなくなってしまった。
観る前から覚悟していたことだった。

あの時、同じ空間にいた私たちは全員、〈ここで話したことは口外しないこと〉を約束させられた。まるで、何かいけないことを話すかのように。
だから私は、あの場所で聞いた内容については何一つ書き起こしていない。
(もし何か問題があれば、この投稿はすぐに削除する。)

ただの勘違いだとは思う。
けれど、大きな事件が日本中で話題になっている今、どうしても何か引っかかったような気持ちになってしまうのだ。
あの時の約束は、そんな意味ではなかったことを願っている。
そして、同時に私のモヤモヤが晴れることも。

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栖山 依夜
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