魂の清涼 坂東玉三郎
魂の清涼
酷暑の京都、着物で出かける根性がなかったけれど
「夏のひととき」と題する玉三郎さんの対談と地唄は、
まさに暑さを忘れる
清々しさ
何が清々しいって
春風亭小朝さんの質問「もう一度生まれたいですか?生まれ変わったら何になりたいですか?」の問いに、
「もう今世で十分」何度聞かれても、「生まれ変わらなくていい」
人生やり切ったからというより、
今世の玉三郎という存在を超える人生って、もうないのだと思う。
今世の玉三郎という存在になるまでの努力を思うと、それ以上の人生を作るための努力って、、もうやらんでいいでしょう、、と私でも思う。
14歳から24歳まで、養父よりずーっと言われ続けてきたという、
例の言葉をまた繰り返されていた。
「いいと思ったら終わり」
「いいと思ったら終わりだよ、今、いいと思って踊っていただろう、怖いね、
こちらがいいと思ってやっていたら、お客様が気持ち悪いんだよ、こちらが気持ち悪いと思ってやるから、お客様は気持ちが良くなるんだ」
もうこの1回でいいと思える人生、、
清々しい!!
清々しさは、健康管理の話の中でも。
健康診断などの類は一切やらない、「病気になったら死ぬだけだから」
清々しい!!
玉三郎さんの健康管理は、日頃よりなるべく自然の物を食べることや(以前インタビューで最近柑橘系のフルーツの味がおかしくなってますね、ということが言えるほど、味覚が出来ている人である)、お酒も一切飲まず、公演中は出歩かず毎日2時間体をマッサージしてから休まれる、という体への意識は徹底しているからこそ、
ここまでやって病気になったのなら、もう仕方がない、死ねばいいではないか、という執着のなさが、
清々しい!!
最後にそれはそれは美しい玉三郎さんのお辞儀を受けて、
もうこのお辞儀だけで、お金を払う価値があると毎回思うほど、
全てがお辞儀に現れている。
お辞儀の美しさや、この清々しさの背景にある「積み重ね」。
何を積み重ねていくかは人それぞれだけど、美しさと清々しさに繋がる「積み重ね」がある事は確か。
いいと思うことと同時に、
いいと思ったら終わり。
この二つの領域で私は「積み重ね」ていきたいと思う。
あのお辞儀の域にいけるかは、今世ではちょっと間に合わないかも知れないけど。
神様にもう一回やれって言われるかも知れないけど、、
っていうことを書いていると、
定期検診から帰ってきた洋治さんが
マクドナルドのフィレオフィッシュセットを買って、嬉しそうに差し出してきた。
いやいや、昨日の玉様の話、横で聞いてたやんな、、、。