やきもき
どうもよくない。
誉められ過ぎている。
いや、それはよくてもっと誉めて欲しい。
自己実現したいし承認されたいし自信を持ちたい。
しかし誉められるとそれに応えようとか、さらに喜ばせようとか、そういう気分になり、結局自分のハードルを上げて、自分には相応しくないことやよく分かってないことを言ったりやったりしてしまう。
どうもそういう感じになりつつあるので、落ち着いていきたい。
落ち着いて安心な気持ちでいれば、問題はない。
それは分かっているので安心しよう。
このやきもきは近頃のnoteでの作文が我ながら調子良く評判も良いことの他に、本業や副業や趣味や人間関係全般において関係していそうなことで、これまでの半生実にネガティブで卑屈だった自分の自己評価が瞑想や自己実現や自己放棄の甲斐あってポジティブに働き、始終自画自賛しているせいでもある。
この、人や自分からよく誉められる状況に慣れていない。
しかし責められたり発破かけられると辛いのは間違いなく、もうそういう自分に鞭打つような生き方はしたくない。
どうもインターネットは字間が膨らみすぎてしまう。
平易なフラットな文字情報は、如何様にも解釈できてむやみやたら想像を掻き立てる。
どの案件も待ちの状態が多いのも良くない。
よくはないが、致し方ない。
私だけの都合で物事は進んでいなくて、先方もそれなりにそれなりのことをしてくれているし、私もそれなりでしかないので持ちつ持たれつ程々でやってゆきたい。
何もかも抽象的な物言いしか出来ないのは、時期尚早だからであって何もかも開けっ広げるわけにもいかず、それはそれで秘め事の楽しみを見つけていくしかないのだ。
肝心なところで自信の無さが露呈することもままある。
くよくよとはよく言ったものでくよくよ以外言い表すことが出来ない状態で、目の前のよく分からない事象にさっさと飛び込めれば痛かろうが冷たかろうがそれなりに対処のしようがあるが、火中の栗は熱いかしら甘いかしらもう苦いかしら火傷に備えておくべきかしら燃え移らないような服装にしたほうがいいかしらそもそも何で栗を拾う必要があるの等々、全くカロリーを浪費しているとしか思えない。
とは言えまだ身動きが取れないのだ。
期待してくれている方々がいる。
大変ありがたい。
感性を共有できる仲間がいる。
めちゃくちゃありがたい。
遠くにいて気にかけてくれる人がいる。
ありがたすぎてどうしたらいいか分からない。
ありがたい人の顔が浮かぶ。
感謝や愛をどう表現したらいいか分からない。
作品ってどっちにも振れない良さがあると思う。
言い換えると矛盾した事象を同時に存在させることができる。
矛盾は人の頭の中にしかなくて、自然は文字通り自ずから然るのであって、そこに何の齟齬もない。
私たちの存在も自ずから然ってる。
自然な表現は自ずから然ってくる。
それを思うときちょっと落ち着く。
たぶん作品というものが好きなのはそこで、絵を描くのがやめられないのはそれを自分で作れるからだと思う。
明日からは人に会う予定があるのでやきもきも収まるところに収まるだろう。
少し落ち着いた。