死をおもう会2月1日19時より
開催まであと一週間。
死をおもう会 2021年2月1日(月) 19:00〜21:00
先日、クライアントに
「大変な過去があるのにどうしてそんなに元気なの?」
と言われた。
どうしてだろ?
人に恵まれているから、というのが大きな理由。
喪失感が大きいのは、その人が大切だったから。その大切さを分かち合える仲間がいた。
思うに、死は終わりではなく、新しい生の始まり。死は、生と呼ぶものの頂点でもある。無知に生きれば自分の生に直面することはない。直面がなければ自らの死について知ることは不可能だ。
死は、二つの生をつなぐ扉で、ひとつは後に残され、ひとつは前方で待ち構えている。
R.バックの小説「イリュージョン」(訳村上龍)では、主人公のひとりが散弾銃に撃たれて死ぬ。
もう一人の主人公と夢の中で再開し、死んだ時の気分を語る。
「プールに落ちたみたいだった。」
と彼は言う。はじめは溺れそうになるが、泳ぎ方を覚えていけた。
ということを話した。
私自身も、扉を2枚くぐってきた。
くぐる度にその世界での泳ぎ方がわからず足掻いてきたものだ。今も泳ぎは上手くない。上手くなったときには死ぬのだろう。
泳ぎ方は近しい人から学んだ。学ぶの語源は真似ぶ。自分が真似したいと思う人のやり方を「まねぶ」ことから始めるのは、学びの基本。
教える気はない。
身近な喪失を分かち合うオンラインミーティング「死を思う会」、残席数名分。
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