商売と倫理の交差点で考える転売
そろそろ、転売について考えたい。
商売の基本は「安く仕入れて高く売る」のはず。
転売も同じだ。
だが、転売は疑問視される。
転売の良い面を考える。
人気商品が入手しにくいとき、転売によって他の人が入手しやすくなる。都市部では手に入る商品が地方で入手困難な場合も、転売によってその格差が解消される。埋もれた商品に新たな価値を見出すことで、消費者や販売者にとってプラスになる。
転売の悪い面を考える。
必要としている人が高価格のために入手できない。本来の流通を妨げることで、市場全体に悪影響を及ぼす。買い占めなど不正な手段を助長する行為が起きる。
利益追求だけを目的とした転売は、害になるかもしれない。一方で、本当に必要としている人に商品を届けたり、埋もれた価値を再発見したりするような転売は、むしろ評価されるべきだ。
だけど、社会的価値といっても、
日頃「私の仕事は社会に貢献している!!!!」と志をもって仕事に励んでいる人ばかりではない。お金のために働く人ももちろんいるし、いてよい。
だから、
「利益追求を目的とした商売は悪」
というのは乱暴な気もする。
社会貢献に向けた事業をする資金を集めるために、今は利益追求を目的とした商売をしている可能性もある。日本の大企業がスタートアップだったころのエピソードでも「はじめはお金を稼ぐために必死だった」という話はよくある。
転売は、商売の話なのか倫理の話なのかが混同されやすい。だからこそ論争になりやすい。
自分の倫理観に照らし合わせ、自分は納得がいかないから買わない。とスタンスをとっても商売は需給があれば成り立つし、繰り返される。
さらに、自分は納得がいかないから買わないのに「本当はほしいのに、不当な価格や供給制限がある」となれば、なおさら納得がいかない。
誰もが情緒と合理のあいだで、経済活動に携わっている。お金を払うことはその商売を推すことにもなる。納得できなければ払わない。自分のスタンスをもって、お金を払っていこう。
なにとぞ。