嫌な記憶が重なる日

今日は祖母の祥月命日であり、私が嫌いな人の誕生日でもある。

なぜが私は大人になるにつれて祖母を苦手に感じるようになっていった。
親戚間が拗れる要因の一人であったからなのかもしれない。
決して祖母から憎まれていた訳ではなかった。
むしろ愛されていたと思っている。
只、彼女の愛は条件付きだったと思っている。
祖母とともにいる時は、彼女の「理想の家族像」を演じなければならない。
小学生になってから、そのようにずっと感じていた。
あまり「子供らしいワガママ」を言う機会が与えられないまま、「出来が良く品行方正な孫」であることを暗黙のうちに押し付けられていた気がしていた。
偶然にも会うことのできた亡くなる数日前、最後に掛けられた言葉は「あなた、少し太ったんじゃない?」だった。
それが自分には合わなかった抗うつ薬を断薬した副作用であったことは、結局伝えることができずに終わってしまった。

ただでさえほろ苦い出来事のあった日であることに加え、嫌いな人の誕生日も被っているため、今日は自然と憂鬱になってしまう。
このご時世であることと遠方であったこともあり法事を自粛したため、親戚に顔を合わせる必要もない。
嫌いな人だって、今現在はもう二度と会うことのない人なので考えるだけ時間が無駄であることは理解している。
しかし頭はそのことを理解していても、防衛本能とは厄介なもので常に臨戦態勢でいられるよう、ふとした瞬間つらかった記憶が流れ込んでくるのだ。
身内だからという理由で受けてきた杜撰な扱い、かけられ続けた心のない言葉、されてきたモラルハラスメントの数々。
どこかで聞いた「忘れたくても忘れられない」という表現が的確に、簡潔に言い表してくれている。

少しでも頭と心が記憶と感情に侵食されないように、文字に起こして吐き出す。

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