専門家すら信じられなくなるまでの経緯

私は現在、再びうつを再発している自覚はあるものの医療機関には一切掛かっていない。簡単な買い物などの外出ができるほど元気がないのも理由のひとつだが、どちらかと言えば自分の中で医療機関ですら信用できなくなっていることが大きい。私はこれまで数件心療内科を転々としている。運が悪いのか、相性の良い医師やカウンセラーになかなか出会うことが出来なかった。

過去にとある病院へ駆け込んだ際「抑うつ状態」と診断された話をしたことがあるが、実はその前には別の心療内科へかかっていた時期もあった。自分が本当にうつなのかわからなかった上に、そもそも「心療内科」というものに対してあまり良い印象を抱いていなかったものの、とりあえず心身ともに感じているつらさをどうにかしたかったので、自宅から最も近場であり初診でも早く対応してもらえる所を探した結果、この心療内科に行き着いた。だが、私はここへ通ったことを今でも後悔している。
問診から投薬治療で様子を見ることになったのだが、肝心な診断結果を一切伝えられることがなかった上に、薬についても何のための薬なのかを一切説明せず処方され終わったのだ。あまり病院に詳しくなかった私は「初診だとこんなものなのか?」と思っていたが、次もその次もただ状況を聞いたら同じ薬を処方されるだけの診察が続いたので、徐々に「この心療内科は大丈夫なのだろうか?」という心配が強まった。そしてとある出来事がきっかけで、私はここに見切りをつけることになったのである。
医師に対する不安に加え、薬の効果も生憎あまり感じることが出来なかったので、ある日私は思い切ってその旨を正直に伝えた。もしかしたら薬が合っていない可能性もあるのではと考え、その相談にも繋がればと思ったのだ。しかし、医師はその話を聞いても手元のカルテに目を落としたまま、目の前にいるこちらの様子を観察することもなく「あなたの症状ならこの処方で正しいはずなんですけどね」とだけ言い、その後これといった提案もないままこれまでと同じ薬を処方して診察を終わらせたのだ。そのやり取りから「ここでは自分の問題の原因が何なのかも教えられない上にまともな治療が受けられない」と判断した私は、二度とこの心療内科には通わなくなった。そしてもともと不信感を抱いていた「心療内科」という場所にますます悪印象を抱くようになったのであった。

この出来事があったのち、私は過去記事で述べた病院へかかることになったのだが、こちらも結果的には全く通わなくなってしまった(経緯については記事を読んで頂ければ幸いである)。そしてそこからさらに数年後、私は再びうつを発症したので、過去の苦い経験からあまり乗り気ではなかったが新たな心療内科を頼ることにした。この時、私はうつ症状の背景に発達障害も絡んでいるのではないかと思い、そちらの分野も手掛けているところを探した。結果はというと、そこでは私は「中程度のうつ」と診断され、おまけにパーソナリティ障害もあり発達障害グレーであることも判明した。
過去に抗うつ薬の恩恵をあまり感じることが出来なかったこと、そして当時は特に不眠症に悩んでいたことを考慮して、医師との相談により治療方法は不眠症には睡眠薬の処方、病気や障害へのアプローチに加えボロボロになってしまっていた心のケアにはカウンセリング、そして各方面のケアに対する相乗効果を狙って呼吸法を導入する形になった。ここでの経過はというと個人的に相性が良かったことに加え、ほかの病院と比べてまともであったので一番治療が捗ったように感じている。医師も臨床心理士も「ちゃんと話を聞いていた」様子が伝わり、病気・障害の症状や治療方法、睡眠薬の使用方法も丁寧に教えて頂いたので、私はこれまでになく安心して「心療内科」を頼ることができた。
ただ、非常に運が悪いことに同じころ、私の家庭環境がこれまでになく悪化したため、快方に向かい始めたうつ症状は再び底に打ち付けられてしまったのである。一方で、カウンセリングの方も残りの回数が少なくなるとともにマンツーマンのやり取りの中では進展を感じられなくなってきたため、集団療法に切り替えてみることとなった。今思えば、精神的にギリギリな状態で治療環境を変えたのは我ながら無謀だったようにも思うが。
結果的に集団療法はというと、初日で辞めてしまった。厳密には見学という形で参加させて頂き、その後のスケジュールやセッションの空き状況から正式に参加するかどうかを決める流れだったのだが、その時とある職員から否定とも取ることのできる言葉をかけられ「ここでも無理だ」と思い、参加を見送ったのである。セッションは非常に好印象で、年齢も環境も違う者同士だが「回復」という共通の目的に向け互いを励まし勇気づけるその空間に自分も参加したいとは思った。しかし現実問題、当時の私はどうしてもセッションのスケジュールに合わせて予定を調節することが出来なかったのである。その旨を伝えつつ、両者のスケジュールをなんとかすり合わせることが出来ないかと模索したのだが、ここで職員から私は「世の中はなんでも同時進行で起きているのが当たり前」「セッションに参加している人たちは本気で臨んでいるので、中途半端な気持ちでは来てほしくない」と言われたのだ。ごもっともな意見であると思っている。その職員は人を想う気持ちや励ましたい気持ちが強く、同時に正義感も強く白黒ハッキリさせたい性格であったような印象を受けている。おそらくこれは職員なりの本気でどうにかしようと思っているのなら、悩んでないで行動しろという激励だったのだと理解している。だがその言葉は私には激励ではなく、「お前みたいなのがここに来たら他の参加者の邪魔だ」「お前にはここに来る資格がない」というメッセージとして伝わった。今でもあの言葉は無意識的にそのような意味合いを含んでいたと感じている。この瞬間、私の中で糸がぷつりと切れたように他者、とりわけ医療機関や専門家を信じる気持ちが途絶えてしまったのである。

仮にこの先再び医療従事者の世話になるのなら、おそらく最後に尋ねた最も相性の良い心療内科が無難なのかもしれない。しかし、くしくもその心療内科は例の集団療法を行っている施設に併設されているので、今もなお再びあの地に足を運ぶ気にはなれずにいる。そもそも家庭環境でも医師・臨床心理士とのやり取りでも、あまりにもいろいろなことが各方面で同時多発的に起こったので純粋に【他人を頼るという行動を取る元気すらない】のが私の現状だ。今現在の私は一向に回復の兆しを感じられず、家族から「体調の気遣い」に見せかけた「体調不良への非難」をかけられ焦燥感や罪悪感を感じ続けられながらも、自室に引きこもりベッドの上で眠り続けることしかできない。せいぜいこうしてnoteにお目汚しの文章を書き殴るのが精一杯だ。

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