海をあげる
2022/05/04
天気が良かったし休みの日だったので、家の近くの公園のベンチに座って本を読んでいた。「海をあげる」という本。職場に個人的にすごく大好きで尊敬している人がいて、その人からオススメしてもらった本だ。エッセイが好きだとか、本屋大賞が…みたいな話をしていたら、「それならこの本は読むといいよ」と言ってお薦めしてもらった本。すごく色々な要素が詰まっている内容で、うーん、今なんとも言えないかもしれない…。
第1章は切実な日々の悩みから綴られて、それに対して感情移入してしまう部分もあって。あまりにもリアルな悩みに泣いてしまったりもした。でも、この本はそれよりももっと言いたいことがあって、そこに向けて進んでいく。本の内容が進んでいくに連れて、それはすごくリアルで、見たくなかった現実で。最後にはその内容が自分に押し付けられたような気分になって、「ぼくはどうしたらいいんだよ」なんて。
本って、一方的だよな。このnoteだってそうだけれど、一方的に自分の気持ちを押し付けて、相手との対話を放棄している。映画だって、音楽だって、完成されたものを見せるという行為においてはなんだってそうかもしれないけれど…。ぼくはあなたの気持ちを知らないし、何を思っていたとしてもそれに対して答えてあげられることができない。ぼくに出来ることは、ぼくの言いたいことを精一杯、何か人に残してあげられるようにすることだけだ。その結晶がこの本で、ぼくはこの本を読んで理不尽に思ったのだ。
なんでこんなに理不尽を感じてしまったんだろうな。自分にとって、知りたくなかったことだから?いや、そうじゃない。ぼくはこの問題は薄っすらではあるけれどずっと前から知っていたはずだ。多分、自分とは関係ないと思っていたことを。「これはあなたの問題でもあるんだよ」と目の前に突きつけられたから理不尽さを感じたのだろうな。確かにぼくの問題でもあるのかもしれないけれど、ぼく個人にできることはそう多くない。考えることはできるし、それは大事な一つかもしれないけれど、とてもぼく一人では抱えきれない。
抱えきれないから誰かにも背負って欲しかったのかな。誰もが「自分にも関係ない」みたいな顔をするから、深く傷つけていたのだろうか。ぼくが中学生の時に、幼馴染がいじめられていた。それをぼくは「違うクラスだし」「あんまり最近話していないし」なんて理由で、自分には関係ないと思ってしまっていた。今でもあの時のことをすごく後悔している。ぼくは自分で思っている以上に色々なことに対して当事者で、もっと考えなければいけないのだろう。悔しいなあ。何が悔しいって、今まで無感情で生きてきた自分が悔しい。鮮烈なエッセイだった…。