フェイブルマンズ:つまりそれはカメラは人間を撮るだけの為にあるものではないんだよと、映画は人間関係の心理を撮るものでないんだよ、と言いたげなのである。
「フェイブルマンズ」面白かった。
この映画の文脈では地平線が真ん中にあることはアイレベル、つまり人間のまなざし、つまりは家族や友人にカメラを向ける自身のまなざし、の否定になるのではないか。
フォードの(まるで映画のような)言葉によっていかにも内的な葛藤を抱え人間に関心を持ち過ぎて近視眼的になった自身を否定=初期衝動(破壊への渇望)の肯定により人外交流エンタメ王スピルバーグの誕生をさらっと見せる、つまりそれはカメラは人間を撮るだけの為にあるものではないんだよと、映画は人間関係の心理を撮るものでないんだよ、と言いたげなのである。
映像を作る人は常にドキュメンタリー(撮影)をいかにフィクション(編集)に仕立てるかに腐心するんだけど、母親との関係も思春期の葛藤も撮影と編集という映画づくりの最も本質的な作業によって核心を突いていく批評性、カーストトップのマッチョへの理解とケアに現代性を見る。
ミシェル・ウィリアムズはいよいよ凄い俳優に。。