旅好きの彼女がこの地に留まる理由【イワシとわたし 物語vol.11】
外に出るのも億劫になる季節になった。
もし叶うのならば、温かい家の炬燵の中で温まりながら、冷凍庫から取り出したカップアイスをゆっくりと楽しみたい。そんな平日の昼間の公園には、人気はなくただ一人、彼女だけが歳を忘れて遊具と戯れていた。
幸運なことにこの日は快晴。じんわりとした陽が優しく公園を包んでいる。
子供の笑い声が聞こえない代わりに、鳥のさえずりと木の葉が擦れ合う音と遠くで車が走る音、そして彼女が遊具の上を移動していく素朴な音だけが空に響く。
彼女は旅好きで有名だった。
国内外問わず、彼女は気が向くままに旅する足取りは常に軽く、あそこの娘さん、今日はどこに出掛けているのかと、井戸端会議でしばしば話題に持ち上がるほどだった。
毎日しっかりと身支度を整えて、笑顔でいってきますとただいまを繰り返す。
きっとこの街が退屈なのだと皆は噂していた。
その旅好きの彼女が向かった先が、今日は地元阿久根にある公園だった。
彼女はアウターのポケットから一つ瓶を取り出して遊具の上に置く。
やっぱりぴったりだ。
彼女は誇らしげに口の端を吊り上げた。
市外に出掛けていたとき、たまたま通りかかった店の窓から一つの瓶が目についた。気になってその店の中へと入り見てみると、その瓶には「旅する丸干し 阿久根プレーン【ボンタンエッセンス】」と書かれていた。
阿久根。
たまらず目の前の瓶を手に取った。嬉しくてこのまま家に帰るにはこの湧いてしまったエネルギーを持て余してしまう。そう考えた彼女は、この瓶にぴったりの場所を思い出し、車を走らせた。それがこの公園だった。
小高い丘の上に存在するこの場所は空を遮るものはなく、澄んだ青が心地よい。遊具の青とビタミンカラーがこの瓶とよく馴染んでいる。
誰にも知られず彼女は一人胸を張る。
――彼女は旅好きで有名だった。
きっとこの街が退屈なのだと皆は噂していた。
ただ一つ、不思議なことに彼女が外へと移り住むかもしれないという噂は一度もされなかった。
彼女にとって旅は日常でいて特別だ。
この街を出る瞬間と戻ってくる瞬間、それがたまらなく好きなのだ。
出たときも戻ったときも、旅は新しいものと出会わせてくれる。
旅がこの街のことを何度だって教えてくれる。
澄んだ空も海も。
豊かに流れる時間も。
口にする食べ物も。
触れてきた場所も何度も踏みしめた道も。
ああ、やっぱり好きだと、そう思わせてくれる。
次は何を教えてくれるのだろうか。
次は何を見つけさせてくれるのだろうか。
旅への出入り口でのあの胸の高鳴りは、何にも代えがたい。
そしてこの瞬間が自分を形作っているのを確かに感じる。
充足感に口許が緩んだ。
旅先でこの瓶を見つけた。
旅から戻ってこの場所に気づいた。
今立っているこの場所と温度を伝え合うこの瓶が誇らしくて愛おしい。
触れる自分さえも肯定されるようだった。
彼女は明日も旅に出る。
次は何を好きになるのだろう。
そう高鳴る鼓動と共に足下は既に踊り出していた。
model:櫻井咲綺 Instagram(@saki_ethical)
撮影:こじょうかえで Instagram(@maple_014_official)
衣装:LIZE Instagram(@0811lize)
撮影地:番所丘公園
文章:橋口毬花 (下園薩男商店)
イワシとわたしの物語
鹿児島の海沿いにある漁師町、阿久根。
そんな場所でイワシビルというお店を開いている
下園薩男商店。
「イワシとわたし」では、このお店に関わる人と、
そこでうまれてくる商品を
かわいく、おかしく紹介します。
and more…
モデルインタビュー/オフショット
旅する丸干し 阿久根プレーンの紹介
イワシとわたしの聴く物語
イワシとわたしのInstagramでは、noteでは見れない写真を公開しています。