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磐城まんぢう
2024年12月25日 15:02
その年の十月に入り、月の半ばも過ぎれば、全国に散っていたののう巫女たちは順に故郷の祢津に帰り来て、出先で稼いだ大層なお金を、領主や神社や寺院などへ献金として配り歩くのが通例だった。その稼ぐ金額というのも半端でなく、土地の名士や豪商の家で口寄せなどすれば、その土地の情報を得るばかりでなく、一度に何百両といった報酬を貰えることもあるのだ。だから彼女たちが身に付ける物も自ずと豪華で、普段は田舎じみた祢
2024年12月18日 19:26
鷹狩りは戦国武将のステータスである。 織田信長をはじめ、豊臣秀吉、徳川家康など、〝鷹狩り〟と称して野山に出掛けたのは、猟を通して軍事演習を兼ねたり、その土地の様子や民情を探るための視察や巡見の意味もあり、特に秀吉などは自分の権勢付けの政治的パフォーマンスとして大規模な鷹狩りを行なった。 古くは朝廷を中心とした貴族の権威権力を示す単なる遊びとして栄えており、鷹は朝廷からの御預り物として非常に貴
2024年12月16日 20:04
祢津は宮ノ入にある根津の舘を背にして一本の道を挟み、右側を〝西ノ町〟、左側を〝東ノ町〟と称して一つの自治体を形成している。それぞれの町には南北を縦に延びる道があり、その道に沿って家々が立ち並ぶ。 多くは農業にいそしむ者たちだが、中に高い垣根に囲まれ、家の内部が見えないように造られた屋敷にはたいてい巫女が住んでいて、冬の間、巫女歩きを終えた彼女らは、その屋敷内で十人ほどの規模で集団生活を送る──