壺と蓋のはなし

私は過去の自分や出来事と向き合うのがものすごく苦手で、常に最新の自分しか「自分」として認められなかった。

過去の自分、あの時の行動、発言、気に入らないものはすべて自分の中に存在する壺のようなものにぎゅうぎゅうに押し込んでさっさと蓋をしていた。その感覚をリアルに描き出したのは小学6年生の時だった。

6年生の夏、いつも遊んでいた友人達から仲間外れにされた事がある。

ある日突然口を聞いてもらえなくなった。初めて味わった、胸の中がざわざわする嫌な感じを今でもはっきり覚えている。

私は当時リーダーとして友人達の真ん中にいないと気が済まないタイプで、とにかく嫌な奴だったと思う。仕切り屋で自分の思うように物事を進めたがった。思いやりがなく傲慢だった。そのせいで嫌な思いをした友人達が共謀して、クラスの女子ほぼ全員から無視され空気のように扱われる日が続いた。

私はこの時初めて自分の中の壺に感情を押し込んだのだと思う。遊ぶ人がいないので昼休みは図書館で江戸川乱歩の本をひたすら読んだ。内容はほぼ入ってこない。掃除時間と昼休みは地獄のような時間だった。帰りの会が終わるとすぐに幼なじみのいる別の教室へ行き、私が仲間外れにされている事を知らない友人達の中でやっと息が出来る感覚だった。

自分が無視されている事実を見たくなくて、認めたくなくて、母にも、毎日登下校を共にする幼なじみにもこの事を打ち明けられなかった。感情を壺に押し込む日々。壺は段々重くなった。

2週間後、下駄箱に手紙が入った。

私が友人のペンを盗んだのを知っている、返せという身に覚えのない内容だった。他にも私への鬱憤を晴らすような言葉が書かれていたと思う。ついでに私が友人の自由帳に描いた絵がぐちゃぐちゃに破られて一緒に入っていた。無視されても壺が何とかしてくれていたけど、この時私は耐え切れず初めて泣きながら帰宅した。心が折れるという表現がぴったりだった。

泣きながら帰宅した娘を迎えた時母はどんな気持ちだっただろうか。二段ベットの上でひたすら泣いた。泣いて言葉にならず打ち明けるまでにはかなり時間がかかった。

その後担任の先生の介入で事態は収束した。でもすぐに前の関係に戻ることは私には無理だった。私はこれまでの自分の傍若無人ぶりが恥ずかしかった。過去の自分をまた壺に押し込んでいた。

救いは、りかちゃんとじょりという友人だった。2人は本当に仲が良くて双子のようで、2人だけの世界を持っていて間に入る隙がないからそれまでほぼ一緒に遊んだことがなかった。それなのに私をすんなりその世界に加えてくれた。2人とも明るくて爽やかでめちゃくちゃ面白かった。あの時私が再び心から笑う事が出来るようになったのは間違いなく2人のおかげだった。人に優しくしよう、嫌な気持ちにさせないようにしようと考える事ができるようになった。

前置きが長くなったがこの壺、未だに私のお腹のあたりに鎮座している。

学生時代も社会人になってからも、沢山の事を押し込んで、見ないようにして、蓋をした。そうして過去の自分を最新の自分から切り離そうとしてきた。おかげで自分の事が全然好きになれず、自己肯定感低めの大人になってしまった。

だけど最近、もうこの蓋を少しずつあけても大丈夫かな、と思えるようになってきた。きっかけはりかちゃんが我が家に遊びに来た際持ってきた小学生〜中学生の頃の「サイン帳」だった。

サイン帳とは、名前や電話番号などの個人情報や好きな食べ物など、自分のプロフィールを記入する寄せ書き帳のようなものである。

こういった過去の産物は私にとってかなり地雷である。卒業アルバムですら燃やしてしまいたいと思っていたし、過去の自分が書いた何かなんて発狂ものである。

しかしりかちゃんは私のそんな事情は知らず、ただただ懐かしいという純粋な気持ちで持参してくれた訳だから、と心を落ち着かせてページをめくった。

私のページは予想を超える中二感だった。以前ならしんどくなって目を通す事は出来なかったと思う。でもこの時、不思議と受け入れる事が出来た。ああこれがこの時の私だったんだ、久しぶりに会えたという感じだった。

そこから、壺の蓋が半分開いていても、苦しくなくなった。あの時の自分を壺から出して、労り、認め、見つめることを少しずつやってあげたいなと思うようになった。

その一歩が、6年生の時に経験したことを書くことだった。ずっと長い間蓋をしてきて、殆ど話題にすることが出来なかった。でも今日ここで書けて良かった。涙が出た。ぼろぼろと。出て良かった。あの時の私はしんどかった。今はすっきりしている。

そんな話をたまにこうして書いて、成仏させていこうかなと思っている。






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