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不良、なわたし

どちらかといえば世の中のものに興味を持つのが早い方だった。小学校低学年の頃には少女漫画が教科書になって、大人の世界を学んだ。わたしは「なかよし」派だった。欲しいものがみるみる増えて、父にねだっては買ってもらっていた。小学校高学年になると親友のお姉ちゃんの影響でソニプラでスミスのルーズソックスをお小遣いで買って、大人の消費者の仲間入りを果たしたような気になっていた。ソックタッチの匂いが好きだった。プリクラが地元の駅にもできて、たまごっちが入荷待ちの頃に、他校の小学校のませな子たちとの社交が始まって、友達同士で電車で隣町まで遊びに行くようになった。プリクラとプロフィール帳と、写ルンですとポスカの入ったペンケース、それからニベアのリップを黒いレザーのリュックに入れて持ち歩くようになっていた。外の世界は無限に広がっていくように思えた。

田舎育ちの古い価値観を持った母は、映画やカラオケに行くことを「不良のすること」だと信じ込んでいて行かせてくれなかった。危ない不良の溜まり場へ行かせない親なりの子を守る術だったのかもしれないが、みんなが遊びに行っているのに自分だけ行けないのは絶望の一言で、正直に行けない理由を友達に言うのも地獄だった。そもそも巷のカツアゲはもう希な頃だった。物事はいつだってものすごいスピードで変化している。
そんな母がわたしの嗜好を理解できるはずはなく、わたしが父に何か買ってもらうたびにケチをつけた。「必要ないでしょう。金のかかる子ね」これが聞きたくなかったから買ったものを報告することはやめた。
母の時代背景や育ちを理解すればわからなくもないけど、当時のわたしにそう考えることはできるわけがなく、全部母の意地悪だと信じて疑わなかった。結果的に、わたしは嘘をつくようになった。確か、「◯◯ちゃんと動物園へ行く。」そんな感じだ。動物たちへの博愛が感じ取ることのできる模範理由だ。飼育委員だったわたしの動物たちへの愛は嘘じゃない。そしてわたしはカラオケや映画館へ行く母のための「不良娘」になった。

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