嘘。
カメラに撮られるのがずっと好きじゃない。
家には応接間があって、赤い絨毯の上には、ガラスのテーブル、レザー製のワインレッドカラーのソーファー、テレビ台に乗せられたテレビが並べられていた。壁には重厚なカーテンと、照明、壁掛けの鏡、それから歴史好きの父の難しそうな古い本が本棚にびっしりと並べられていた。その本棚と本棚の間に150cmくらいの高さのガラスケース棚が置かれ、なんだか似たようなカメラが大事そうに何台も並べられていた。
カメラが趣味だった父は、事あるごとに家族の集合写真を撮るためにみんなを集めた。「こっちにこい」「早くしろ」「じっとしてろ」
門から玄関までの道に三脚をセットして、玄関の前の段差をうまく利用して並ぶ。南向きの白いお家を背景に、光の加減もバッチリだ。タイマーがセットできたら、みんなで薄笑いを浮かべる。
会社役員の父。看護師の母。立派な家と立派な両親。
いつも疲れて怒っている両親と散らかった部屋。
立派な見かけとは裏腹な”矛盾”に、たぶん小さな時から気がついていた。
それでも3歳頃までのあの子は、写真の中で本当に無邪気に楽しそうに笑っている。あまりにもナチュラルにその様子を収めた写真を見ていると、ああ、わたしは愛されて育ったのか、とも思う。それは、わたしが”それから”のことをなかったことにできる理由だった。
見ないようにしてきた本当のことがわかってしまうのは、とてつもなく怖い。秘密にしようという意識さえなかった一番の秘密を、カメラが映し出してしまうことをわたしはずっと知っていたのかもしれない。