見出し画像

花束とキースと社会の平和ルールと。

一番欲しかったものは最初からすぐそばにあったはずなのに、それは忙しさに紛れてどこへいってしまったかもう誰にも分からなかった。

買い物依存は自己嫌悪忘却装置。
たくさんの鞄も靴も洋服はもうほとんど処分してしまったけれど、その全部がもらえなかった愛情の代用品。
ぽっかり空いた自己承認欲求を満たす一時的ツール。満たされることなく中毒性を持ち刹那的。
わたしが一生大事にするものは、お母さんからのおさがりのワンピース。

母はあまりモノを欲しがらない人だった。

実家を出てしばらくしてから、わたしは毎年母の誕生日に花束を贈るようになった。
母はよく剪定した枝を鉢に増殖したり、剣山や花瓶に花を生けていたので、その時間も一緒に贈る事ができたらいいなと思い、生花用の枝や茎の長いものを花束にして贈っていた。何度か「もう送らなくていいから」と言わたことがあったけど、わたしはずっと母が遠慮して言っているのだと思い込んでいた。

ある年の母の誕生日に、わたしは大好きなキース・ジャレットのコンサートチケットを母と父の分とを2枚贈ったことがあった。母と同じ月の生まれのわたしが、毎年自分への誕生日プレゼントにしていた特別なコンサートだった。だけど当時さすがに3枚チケットを買うことができなかったわたしは、断腸の思いで母と父だけにチケットを贈った。
しばらくして、コンサートに行った母はそれを喜ばなかったばかりか、気分を害してとても怒っていたと言うことを父から聞くことになった。
わたしの好きなものを当然母も喜ぶかと思っていた。わたしが母から何かをもらったらそれが何であっても嬉しいから。好きな人から貰うものはなんでも嬉しい。だけどそれが必ずしも喜ばれるとは限らないと言うことを、わたしは母から学んだ。溢れていた感謝や愛が行き場をなくして何処かに消えた。

さすがにもうそれきり母に贈り物をすることはなくなった。母はずっとわたしに遠慮していたのではなく「わたしから」何かをもらうことが嫌だったのだと、その時ようやく気づいた。よく考えればわたしたちはお互いのことをよく知らないし、見ている世界もまるで違う。

大人になった今でも実家に帰ると、あの呪いの言葉を聞くことができる。
そのうち機嫌の悪くなる母がわたしに投げてくる言葉は昔と変わらない。母はわたしが何をしても気にくわないので、わたしに嫌味を、父にその愚痴を投げつける。父も多分それを知っているから、父は母に気を使いながら、それとなくわたしに事前注意してくる。
毎度こんな調子だから、たまに実家に帰ることがあってもせいぜい3日間がいいところで、その度にもうここへ帰ってくるのはこれが最後。と思いながらわたしは一体何度同じことを繰り返しただろうか。

離れて暮らして随分時間が経っても、何かが解決したわけではないし、あの時のことがなかったことにはならない。理想の家族の形に無理に変えることはできないし、変える必要もない。

母はあまりモノを欲しがらなかったけど、わたしのこともいらなかったのかもしれない。
母との関係の悪さを、忙しさや社会の仕組みのせいにして解釈いたけれど、それだけではないかもしれない。

社会の平和ルールに当てはまらないことが、たくさんある。

自分の子どもを愛せない親もいる。
親に愛されなかった子どももいる。

いい母親にならないと。ずっと母の中でも葛藤があったのだろう。
子どもを愛さない親などいない。そう信じ込む小さなわたしがどれほど苦しんできただろう。

世の中の平和ルールの呪いにかかっていたのは、わたし。
せっかく母が距離をとっていてくれるのに、いつまでも自立できていないのはわたし。
わたしの自己嫌悪を断ち切るのはお母さんじゃなくて、わたし。

「娘を愛せない」なんて誰にも言えないから
お母さんを本当の意味で助けてくれる人は誰もいなかったんでしょう?
不規則な勤務時間に責任の重くストレスフルな仕事、
家事育児のワンオペ。
忙しい父親と、分かり合えない舅。
自由にのびのびと一番健康だったわたし。
あなたを助けてくれる人は誰もいなかった。

「娘を愛せない」なんて誰にも言えないから
自分の居場所を作るために、自分の中にあるものを見ないようにするためにわたしを「不良」にしたんでしょう?
お母さん、あなたの中にあるのは自己嫌悪。
お父さんとわかり合わなかったこと。
おばあちゃんとわかり合わなかったこと。
自分の感情を押し殺して生きて来た自分への自己嫌悪を見ないようにするために、あなたのコピーを作ったんでしょう?

一生懸命、自分を押し殺して、
良い母親に、立派な人間になろうとしていただけなんだよね?

みんなが自己嫌悪と社会の平和ルールに縛られいる。

わたしのことはわたしにしか幸せにすることはできない。
お母さんを幸せにすることはわたしにはきっとできない。
それでも、お母さんが幸せだといいなと思う。
さようなら、お母さん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?