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赤い自転車のボックス席に乗り込んで。

始発電車に間に合うように家を出る父に代わって、保育園と幼稚園の送り迎えはもっぱら母の役割だった。赤い自転車の荷台に取り付けられている子ども用のボックス席は、今見るような滑らかなプラスチックの椅子が付いているのではなくて、網のカゴから足が出せるような旧型のもので、座布団を毎回カゴに敷かないと到底痛くて座れなかった。(ちなみに座布団を敷くと乗り心地は最高に良かった)

弟が生まれて、わたしが幼稚園に通いだした頃、家を出るまでの朝の一番忙しい時間に、母の見ていないところで弟を泣かせたことがあった。
「なんで泣かせたの!?理由を言いなさい!理由を言うまで幼稚園行かないから!」
赤い自転車のボックス席でわたしは理由が答えられずに俯いていた。時間が止まったように重くて長い。もうまるで何も起こってはいなかったように弟はけろっとしていて、無邪気な様子はわたしの感情をさらに複雑にする。
怒られるほどのことをしたのだろうけど、弟を泣かせたことに理由なんてなかったのかもしれない。わからない。母は本当にわたしのことを理解しようとしてくれていたのだろうか?ごめんなさいと言ったような気がするけど、ただ言っただけのような気がする。それを言えばあの時間から逃れることくらいはもう知っていたと思う。

あの頃、納得できないことがなんだか多かったように思う。お母さんにもお父さんにもお兄ちゃんにも弟にも。それから、自分にも。納得できない自分の気持ちが吐き出されなまま状況が覆い被さって、知らない間に緒さえも最初からなかったかのようになった。

また別の日の朝、赤い自転車のボックス席に乗り込みながら母に質問した。
その頃テレビで見たのか、親が話していたのか、幼稚園で耳にしたのか、「わたしはどこから生まれてきたの?」という質問を親にするのが子ども達の中で流行っていた。

「橋の下から拾ってきた」おなじみの回答だった。
「じゃあ家出したらどうする?」
「どうぞ」
あの時、わたしはどういう反応を母にしたのだろうか?その後のことはよく覚えていない。

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