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父の記憶。

まだ弟が生まれる前、
父は早ければ、私たち兄弟が夕食もお風呂も終え応接間でテレビを見ている時間に帰宅した。インターホンの合図で玄関の鍵とチェーンを開けるのがわたしの日課だった。
「たらいま!」の声は明るかった。父のスーツとコートが、知らない世界の独特な匂いでなんだか近寄りがたかった。

父はよくいろいろな場所へ遊びに連れて行ってくれたり、たくさんのことを経験させてくれたはずなのに、楽しい思い出が一つもないのはなぜだろう?いつも怒っていて、怖かった印象が強い。

夏に兄とその友達と大きなプールへ連れていってくれた時、賑わうその場所で、絶対迷子になってはいけないと念を押されに押され、全然夢中になって遊べなかった。
冬にはよくスケートリンクへ連れて行ってくれたけど、まだ自分で履けなかったスケート靴の紐を少しきつい方がいいんだと言ってきつくきつく締めてくれたけど、やっぱり足は痛かった。

父は目的地に計画通りに行くことが目的になるようなタイプの人で、旅行や遊びのハプニングやイレギュラーを全く楽しめずにストレスを感じる人だった。
父の号令にすぐ気づけるようにとても気をつけていた。言われる前に動く。

自転車の三輪を外す練習をした時も、剪定バサミの使い方を教えてくれた時も、車の免許がとれた後に家の車で運転の練習をした時も、怒りながら教えるからすぐにこちらが嫌になる。楽しくないばかりか気分が最高に悪くなる。
きっと真面目な性格なのだろう。一生懸命教えてくれているとはかろうじて思えるのだけど、その行為自体がしばらく嫌いになる程の教え方だった。よっぽどだ。

風邪をひくとなぜか怒られたという子は、わたしたち世代にはまだ多かったのではないだろうか?
ある晴れた週末に、家の駐車場で車から荷物の出し入れをするのを手伝っていたか、見ていたわたしの右手が車のバックドアに挟まれた。気づかずにドアを思いっきり閉めた父の第一声は「なんでそんなところに手を置いておくんだよ!全く!」だった。
異様な右手のズキズキ感よりも、何かが胸の奥の方で引っかかって痛かった。怒られているのだからわたしが悪いのだろう。痛みや悲しみの矛先は一瞬迷ってから、自分に向けられる。

「うるさい」「静かにしろ」「黙っとけ」怒鳴ってうるさかったのは父の方だった。
父の怒りの感情は、車のスピードに比例した。身体にかかる圧が怖かった。

父も母も、いつも疲れて怒っている記憶しかない。

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