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なかったことにしていたけど、わたし機能不全家族出身者です。

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I was born in 1984. 東京の郊外に生まれ育ちました。 いろんな形の機能不全家族があるけれど、わかりやすい暴力や虐待は一切ない”わかりにくい機能不全家族出身者”だ…
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2020年2月の記事一覧

#01 I was born in 1984.

1984年、わたしは東京の郊外に生まれた。 記憶がほとんどないくらいの時、満遍なくわたしたち…

1984.
4年前
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ファミレスでブサイクにしてるあの子のSOS

4つ下の弟がまだ母なしでは生きていけないくらいの時、

 わたしたち家族は毎週末決まって外…

1984.
4年前
1

2,000,000,001光年の孤独

ふかふかの絨毯が敷き詰められたホールの会場で、入場の列に並びながら兄と一緒にはしゃいでい…

1984.
4年前
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ツツジにさようなら

実家の庭には立派な柿の木が植わっていて、毎年秋になるとそれはもう見事な実をたんとつけた。…

1984.
4年前
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ポニーテールのあの子

頑丈そうに見える曇りガラスはバリーンと綺麗な音を立てて崩れ落ちた。 
音が最初だったか、…

1984.
4年前

きっと君は来ない。忘れられないクリスマスイブ

父は都内のその先まで片道2時間を定年退職するまで通った。朝の通勤ラッシュを避けるために家…

1984.
4年前
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HOTEL 機能不全家族。

秘密にしていたわけではないけれど、 家の中で、わたしは母の足音や声にいつも緊張していた。 彼女の感情は、わざとわたしに聞こえるように乱暴なバタバタというスリッパの足音に変換される。「今から行くわよ」2階の部屋にいるわたしを監視しにくる時の合図だ。 「ただいま」「おかえり」「おはよう」 家の中での挨拶は、当てつけのような乱暴な言葉にしか聞こえなかった。会話がないんだからせめて挨拶くらいしっかりしなさいよ。という母が決めたこの家の最低ルールだったのだと思う。無駄な見せかけだと

バブルの残像

バブルの恩恵は、子どもながらに受けた。 夏には関東のグレーな海水浴場へ。 冬には「ロマンス…

1984.
4年前
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消費とロードサイドビジネス-東京郊外共働き家族の週末-

国道20号線沿い、家から車で5分足らずの場所に食品スーパー、電化製品、CDやビデオのレンタル…

1984.
4年前
2

1984年、わたしは東京の郊外で生まれ育った。

1984年、わたしは東京の郊外で生まれ育った。 街はどこまでいっても住宅地と高い空が広がって…

1984.
4年前
2

嘘。

カメラに撮られるのがずっと好きじゃない。 家には応接間があって、赤い絨毯の上には、ガラス…

1984.
4年前
3

不良、なわたし

どちらかといえば世の中のものに興味を持つのが早い方だった。小学校低学年の頃には少女漫画が…

1984.
4年前

家に女は一人でいい。

「気持ち悪い」「臭い」 母に言われて記憶に残る言葉がある。 それは、十代の色気付いてきた…

1984.
4年前

お母さん、わたしの友達のことを悪く言わないで。

どこへ誰といったか。 何をして遊んだか。 お小遣いを何に使ったか。 何を感じているのか。 友達の名前。 ゆうちゃんは離れていってしまった。 北野さんのことを悪く言ったし、 さとみのことも悪く言った。 話してはいけない。 心配をするふりして殺人。 それは、 対等な時間を 目でかわすエネルギーを 笑いのパワーを わたしのすべてを 否定して奪うことということ。 それは、生まれて初めての殺意。