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寝れない時のぐるぐる

傷つけられる事に鈍感な人って結構いるよね

傷つけられた人間の事を想って優しくしてもう傷つけずに大事にしてくださいねって

それは優しさなのか、愛なのか、そいつに認められなかった自分を認めて貰って自分でも自分を認めたいのか

本当に愛してるなら何をされても思い続けてそいつを尊重して大事にできるのか、それでその気持ちがすり減るならそれは愛では無いのか、無償の愛以外は本当に愛では無いのか

自分はその人の為に言いたいことがあったら嫌われても言いたいなって思った
私のためにこう変わってくださいってこと以外

けど結局それも私の為なんかなと思う
人間はみんなどんな理由があっても自分のしたい結果に行き着く為に行動してると思う

誰かを助けるのもその人の苦しい顔を見るのが辛いとか、人を助けるいい人に見られたいとか、人を助けなかった自分になりたくないからとか
親に従うのも親の悲しむ顔を見たくないとか、逆らって自分が傷つきたくないからとか
ごめんなさいするのも申し訳なくてその人の負担を減らしたいからとか、許されてないのが嫌で怖くて許して欲しいからとか

人を好きになるのも、どれだけ尽くして優しくしても、結局自分の欲に従って生きてるって言えると思う
なんとなくの行動にも気づいてない意味はあると思う
したい理由はひとつだけじゃ無いこともある

って思ったら自分のも他人のも行動をコントロールするのってその辺をじっくり根深く考えたらできると思う
自分のについては他人より簡単に出来ると思う

自分を振り返って、なぜって問い続けるのは大事
自分の感情の理由がわかるから
そこから行動に移すのは難しい

けど、自分の経験だけを盲信して生きるのは本当に良くない

私はこうやって成功したからあなたもこうするべきだ、私は傷つけられたから傷つくべき人間なんだ、私はこうやって失敗したからこれは絶対に失敗するプロセス事なんだみたいな

経験はたくさんして、経験が自分に与えたものを知って、こんな過去だったって認識するものだと思う
楽しい経験は良い思い出として残したら楽しいし、嫌な経験を覚え続け無いといけない決まりは無い
あとたくさん経験するのは広い分野でも良くて新しい見方を取り入れられて、絞った分野でもその知識を深くできるからいいと思う
変わりたいなら変えたいなら新しい分野
より深くその経験を残したいなら知ってる分野

自分たちを作ってる材料は遺伝子と経験というか環境で
加えたり変えたりできるのは環境だけで
そうしてどうやって自分を作っていくのか、どうすればなりたい自分を作れるのか細かく考える
めちゃくちゃ疲れてめんどくさいけど、逃げたいけど、できないことはないからやる
結局私は幸せになりたいからやる
大人になって誰にも邪魔されなく行動できるからやっとやる

そうやってできた自分に本当にまだ嫌な所がないのか疑いながら生きてる
私はどうしてもなりたい自分になりたいから、しんどいけどずっと疑い続けてる
生きてると嫌いなとこは経験で変わったり増えたり減ったりする
けど事実は変えないと変わらなくて、つまり視点が違うだけで
自分も他人も何かを嫌いになるのはそれが間違ったものだからじゃなくて、ただ好みに合わなかったからだと思う
だから嫌いな人を傷つけていい権利は傷つけられた時しかないのかもしれない
けど世の中に正解と不正解は無くて、それは誰も決めることができなくて、人それぞれにある正義だけであって
私の思想も誰かにとっては間違いで合わなくて好きじゃなくて、けどそれも仕方ない事で

こうやって諦めるのは生きやすくなるコツだと思う

期待しすぎない、期待はずれでも仕方ない
その期待はそもそも正解じゃなくてただの期待だから
それがどれだけ自分を傷つけても、その傷つけた奴が責任を取ってくれるかなんて分からない
期待した分そうならなかったダメージは大きいから

けど自分自身には期待していいと思う
期待通りになる為の正しい過程を踏めれば絶対叶うし
ある程度の事というか、自分で変えられない環境と運と他人が関わってなくて、自分で全部どうにか出来ることなら叶うから
自分に期待して、行動して、幸せを作らないと
他人は絶対そうしてくれないし絶対不可能だから
何かに委ねたり言い訳して諦めるのは楽だけど後で死にたくなる

けど正直自分だけで頑張って走り抜くのも疲れて死にたくなるから
たまには人の事頼って貰わないとで、周りにはそんな人がいた方が多分良くて

この塩梅にも正解はなくて

ずっとずっと見つけられないかもしれなくて

ずっと考え続けないと幸せになれないかもしれなくて

考え続けるの疲れちゃって

頼れる人もわかんなくて

遺伝子と環境ガチャ大当たりして楽して幸せになりたかったですよね

先生、俺死にたいんですよ

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