漢方は全身を診て自然治癒力を高める?
先日「漢方は本当に効くのか」という一文を寄稿したら、「漢方は全身を診て自然治癒力を高める」というコメントをした方がいました。
日本漢方の古方派という流派で非常に尊敬されている吉益東洞(よしますとうどう)は「万病一毒説」を唱え、全ての疾患はただ一つの病因からなると主張しました。実は彼は主に梅毒を診ていたのでそう考えたのだと今では理解されています。梅毒はステージにより種々様々な病態を呈しますが、「その病因は一つだ」と見抜いたわけです。彼はその主張を元に、梅毒患者を水銀で治療しました。水銀はもちろん猛毒ですから、治療で死ぬ人も多かった。しかし水銀には梅毒トレポネーマを駆逐する効果はあるので、治る人もいたのです。吉益東洞は「医者はただ毒を抜くのが仕事だ。治る治らないはその人の体力いかんだ」とうそぶきました。今なら完全に医療裁判で負ける理屈ですが。
「漢方は全身を診て自然治癒力を高め云々」と言い出したのは抗生物質に太刀打ち出来なかった昭和の漢方医です。つまり西洋医学との差別化を図って新しいキャッチコピーを思いついたわけです。吉益東洞は「毒を抜けばいいんだ」と言って薬用人参などの補気剤は馬鹿にして使わなかったそうです。
もちろん中国の李東垣(りとうえん)のように「まず胃腸の消化吸収力を高め、栄養をきちんと摂れるようにするのが治療の基本だ」と主張した人もいましたが(李東垣は有名な漢方薬「補中益気湯」を作った人です)、一方では朱丹渓(しゅたんけい)のように「気は常に有り余って熱になる。有り余った熱を冷まして潤いを付けるのが大事だ」と主張した人もいました。明の呉有性(ごゆうせい)などは温疫(うんえき)、すなわち流行性炎症性疾患は彼が「戻気(れいき)」」と名付けた何らかの病原物質が口や鼻から侵入して起こるものだ、と「感染症」という概念を世界で初めて提出しました。彼は顕微鏡を持っていませんでしたからそれが細菌やウイルスであることは発見出来ませんでしたが、「感染症というものはなんらかの病原体が口や鼻から侵入して生じるのだ」という概念を世界で初めて提唱したことは確かです。
このように、伝統というのはきちんと学ぶと一口ではくくれないものです。「漢方は全身を診て自然治癒力を高める」なんていう耳辺りのよいキャッチフレーズは実は現代になって苦し紛れに持ち出されたものだったりしますので、「これぞ伝統」というのは大抵新しい都市伝説の可能性が高いのです。
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