【寄稿第2弾】神田橋條治|「論」と「方法」
「論」と「方法」
ボクの処女出版は、1984年の「精神科診断面接のコツ」です。その第9章「『なぜ』という問い」の書き出しは、「この言葉に心惹かれるようになったのは、いつの頃からだろうか。ずっと以前、おそらく、物心ついた年ごろにまで遡ることができそうだ。」です。そして、「なぜ」というコトバを面接の問いの中で禁止する、技法について語っています。当時は自覚しませんでしたが、ボクの体質の根底に、「論」への羨望と忌避の、アンビバレンスがあったのでしょう。以来今日まで、ボクの探求は、「方法」に限られ、他者の「論」については、「なるほどねえ」と鑑賞する、にとどまってきました。恐らく、体質・気質の相性なのです。
職業生活の終焉に当たり、このテーマについて連想してみることは、後進の方々が、ご自分の、気質・体質と、人生設計について、模索される際のヒントになりそうです。
探索の方法として、色々な「活動」と「論」「方法」との相性、を味わうという、「方法」を採用します。ボクに相性の良い「方法」だからです。
「関わる」:論も方法も、対象との関わりです。「論」では、対象自体も関わりも、自分とは切り離された輪郭を得たとき、こちらの充足感があります。「方法」では、対象の「ありよう」とこちらの「ありよう」とが、相関関係を持つように感じられ、「ともに」という味わいがあります。
「認識・記述」:「論」の主機能ですから、輪郭のクッキリした、「対処像」を描けます。自身の「反応」も、別個の「論」として、蓄積されます。「方法」では、こちらの「感興・反応」の実感が濃く、対象への「推測」から、主観を抜きとれない把握感となります。「思い入れ」です。
「自身の変化」:「論」では、自身に積みあがってくる、充足感があります。「整い」の安心感が生じます。遂には、「揺るぎない自己」の確立へ向かいます。「方法」では、「あれやこれや」の試行錯誤で、自身が動き回り、しばしば、崩壊と再建のプロセスを体験します。「患者は治らなくても治療者は治る」です。
「ことば」:「論」の活動では、文字に馴染む「ことば」、が蓄積されます。それが、自身の精神構造を、揺るぎないものへと導きます。「理論体系」です。風貌は、「専門家」の雰囲気になります。「方法」では、「声と身振り」、に溶けあう「ことば」、が増え、「行き当たりばったり」、の在りようとなります。「諦め」「居直り」を経て、少し変わった「普通の人風」、になります。「デジタルかアナログか」と言ってもいいでしょう。
「数字」:「論」の活動では、数字は、揺るぎない、デジタルの粋、の位置になり、論は数式の雰囲気を目指します。「方法」では、数字が打破すべき「束縛」、の味わいとなります。代わって、「気分」が頼りになる指標となります。
「日常生活」:「論」の活動は、専門世界に封印される、「節度」が大切です。日常生活にまで波及して、家庭生活が不幸になる例もあります。芸術活動や他のいのちとの触れ合いは、文字通りの、「いのち」の「リ・クリエーション」です。「方法」の活動は、当人の心身に波及して、しばしば「社会通念」をはみ出した「自由人」を生みます。芸術活動や他のいのちとの触れ合いは、職業生活と、切れ目なく溶け合います。
「相性」:最も大切なことは、どちらの活動が、自身と相性いいかです。被治療者にとってもそうですが、限られた時間の活動ですから、影響も限定的です。治療者自身にとってはは、治療活動は人生の主要部分ですから、「わがまま」に選択することが「自身のため」ひいては、「他者のため」です。
※本寄稿は、準備中の新刊に収録予定です。
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