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父が倒れて障がい者になった話④

最初は「子供にも言うな」と言う本人の意志を尊重し、父が倒れたことは母と一番近くに住む私(緊急連絡先として母ともう一人必要だったからだ。)のみが知ることだったが、後遺症が残ることになり、黙っているわけずようやく兄と姉にも知らされることになった。

こう言う時の我が家がなかなかにサバサバとしている。

一応は「症状が落ち着くの待ち」という”一刻を争う事態”からすでに落ち着きが出ていた状態だったということもあるかもしれない。

「父が脳出血で入院した」と聞いても反応は冷静なものだった。

しかしながら、兄は東京から、姉は名古屋から帰省し父の見舞いに集まった。家族が5人揃うことは何年ぶりのことだろうか分からないほどに久しぶりだった。

父を覗く4人で担当の脳外科医の説明を聞いた。

「杖で歩けるようになればいいレベル」

「車の運転はまず無理でしょう」

「身体的に障害が残るものの、頭(意識や思考など)はしっかりとされているので、介護施設なんかは逆にストレスになるかも知れません」

など、今まで無意識に明るい方向へ信じていた可能性をバッタバッタと切られ、「これは思ったより悪いな」と覚悟をした。普段寡黙な兄も深刻さを感じてか、珍しく自分から医師に質問を投げかけていたのが印象的だった。

そして医師の説明を聞き終わり、病室に寄った際、父が仕切りに「ありがとう」、「ごめんな」と繰り返していたのも記憶に強く残っている。

なんでも(大体冗談にしてはいけないことを)冗談にして笑ってきた父が、反省をしている。

これで少し心を入れ替え、健康マニアのように生きてくれればと願った。(が、結局はその願いは打ち破られます。)


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