父が倒れて障がい者になった話③
そんな自業自得な感じ(父が倒れて障がい者になった話②参照)で脳出血を発症し、病院に運ばれた父。
前回は「あの時ああしていれば。」と言う思いだったが、この倒れた時に限って言えば、「運送業の父が運転中(一人)で発症しなかった。」「運転中に発症していたら、事故を起こしていただろうし、他の人を巻き込む可能性があった。」「同僚の方がいて気づいてもらえる状況だった。」「集荷センターが病院から近く、すぐに、しかもSCUのある病院に運んでもらうことができた。」など、「あの時ああでよかった」なと言う思いばかりが溢れる。
そしてさらに幸運なことに、父が脳出血を発症したのは左脳で、運動機能は障害が出るものの、右脳が司る言語障害や意識障害などは全くなかったのだ。
結果オペはせず、記憶に有る限りでは血圧と血の広がりを抑える処置で、症状が安定するのを待つ形になった。
父がSCUにいたのは1週間ちょっとだったが、その間私は子供を連れて実家に帰り、電話がなる度にびくりとする日々を送った。(一度病院から電話があった時は「ああ、やっぱり父はダメなのか」と思ったけどただの支払いに関する電話だった、あるある。)
脳内で血が縦に広がっていた父は、左半身がほぼ動かない状況だった。(医師によると「横に広がった方がよかったんだけど、分断するように縦に広がっちゃったから」と言うことらしい。よくわからん。)
最悪の状態を覚悟して対面した時は「なんや元気そうやん」と思ったが、何回も対面するうちに少しずつ違いに気づく。
顔は左半分が表情が乏しく、口元もだらりとして、流動食のような食事が口端から垂れていても気づかない。
布団から覗く左腕は投げ出されたかのような置かれ方で、「動かせない」と言うよりかは「存在を感じれていない」。
もちろん自分で立てないのでオムツ。
話す内容はしっかりしているが、呂律が回っていない。(「腕が3本ある」と言い出した時は「やっぱり身体だけじゃなくて、そう言うところにも障害が出てきたのか?」とドキリとしたが、後に同じような脳出血を発症された方も「動かせる頃の自分の腕が幻覚のように見える」と言われていたので、もしかすると急に腕が動かせなくなった人は体験することなのかも)
そう言う小さな「倒れる前との違い」に気づいては少しずつ傷つき、これからの父の障害者人生を受け入れていく工程となった。
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