等身大ロックンロール
秋ぶりに帰った実家を出て、目指すは池袋。
人生初めてのAdm。
会場に入ったらすぐさま1番後ろの方に陣取った。
理由は自分のペースで音にこの身を委ねられるから
そしてワンマンの醍醐味「自分と同じか自分よりもっと、ドラマチックアラスカが好きな人たち」を見たかったから!
ここ最近のライブではついバンドがよく見える位置を目指しがちだったが、久しぶりのワンマンということで、彼らの作る会場ぜんぶを感じたい…と、我が内なる達観腕組みマンの提案が採用されてしまったのである。
しかしいざ後ろまでつめると、ぎっしりの人の中にひとつ、めちゃくちゃ「私のためのダンスフロア」があった。
…このスペース、大好きなバンドを目の前にして、めいっぱい使わないわけにはいかないのでは。
達観腕組みマン「大人見計画やめにして踊らね?」
全私「当然」
ということで私の何も気取らない素直100パーセントで観るワンマンライブが始まったのであった。
セトリは詳しくは挙げないが、以前から本人たちが言っていたように「ワンマンならでは、昔の曲も」ということで、良い意味で予想を裏切る曲たちによる音浴をしながら、わたしの脳裏に徐々に映像が浮かんできた。
完全に“First Person=一人称視点”の懐かしいムービー。
中高生時代の自分であった。
中学生の時、他のアーティスト繋がりでドラマチックアラスカの名を知り、下調べも何も無くいきなりTSUTAYAにCDを借りに行った。
ジャケットにうつされたボーカルは金髪だった。
まだ世間知らずだった私は、「うわあこれ怖い人たちだ」と思いつつも、好奇心からディスクを再生。
聴こえてきたのは爽やかな歌声と耳に残るギターのフレーズだった。
「天使みたいな人たちだな」と、初めはそう思った。
澄んでいて儚くて自分にはどこか現実味のない、生きる世界の違う存在。
それは人々がスターに対して抱く印象と似ていた。
しかし高校生になってライブに足を運び始めてから、その印象は変わることになる。
CDの整った仕上がりの面しか知らなかった私にとってそのライブは、「生」であるし「リアル」だし紛れもない「人間味」であった。
そうしてロックバンドがより近く、より説得力を持った存在へと変わっていった。
……めちゃくちゃ語りすぎてしまったけれど、そんな懐かしい感覚が2022年始の私に蘇った。
あの時イヤホンから流れていた音楽が、部屋で布団の中で何度も何度も聴いたあの音楽が、いま自分の前で鼓膜と腹の奥がブルブルと震える確かな感触と共にもう一度奏でられている。
そして目の前には、お客さんに埋もれているが確かに輪郭のある4人のヒーローたちが思い思いに動いている。本人たちが窮屈になっちゃうくらい。
その光景が私の目を潤ませ、心に火をつけ、拳を誰より高く挙げさせた。
どう動いていたか記憶はない。でももし誰かの目に映っていたとしたら、ヘンテコではあったかもしれないけれど、誰より本能で楽しんでいたのではないかと思う。
この人たちは天使でもないし、スターでもないかもしれない。でもそれは彼らが等身大を見せていてくれるからこそだ。
ワンマンになると話を聞いて欲しくてMCで喋りすぎちゃう、と零すその姿が、同じ世界できっと私よりうんと色んなことを経験しているのだと私に気づかせてくれる。そしてそれが私の意思をも強くする。
「画面の中の人」とかよく言うけど、私にとってもかつて「イヤホンの中の人」だったドラマチックアラスカという存在は、遠いのではなく、高いのだ、と思った。近い座標もあるが高い。だからこそ追いつきたくなる。そしてそれは、ただ高いだけじゃなくわたしたちを高いところに引っ張っていってくれる存在。
2022年1月16日は、そうやって輝く彼らに、垂直方向の心の動きを感じた夜であった。
「また何十人というキャパシティを埋めるところから始めてみよう。今までに飛ばしてきた部分もあるはず」
この言葉はなんだかとても嬉しかった。
「始める」って言葉、素敵だ。
ゴールに向かう矢印があるということ、そしてそこに意志があるということ。
未来の明るさに、月並みだが「私もがんばらなくちゃ」と背中を押された。
自分もまだまだ「始められる」んだ!と思わされたライブだった。
今日はとくに、ワクワク始め!新しい目線での楽しみ方を知った。
帰りの夜行バスに揺られながら、たくさんのお客さんとライブを創る彼らの夢を見た。
2022.1.16