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「令和鎖国」 で引き裂かれる家族たち──〈極私的〉記録から(中篇)|新井卓

現在も続く、新型コロナ感染症の水際対策。昨年末、オミクロン株の流行にともなって強化された入国規制について、政府に見直しを求める署名活動の呼びかけ人となった新井卓さんのもとには、大切な人と引き裂かれ、あるいは日本で予定していた暮らしを絶たれ、苦しみの中にある多数の人びとの声が届きました。ともに運動に取り組む人が増えていくなか、活動は新たな展開を迎えていきます。前篇につづき、「日本」という国の現状が浮き彫りとなる寄稿です。(編集部)

紙とファックスと捺印の「先進国」で

署名サイト公開後の2週間、わたしたちは当事者主催の勉強会をひらき、メディアに働きかけ、関心のありそうな議員に見当をつけては支援を求めてファックスを送りつづけた(政治家に陳情するならファックスが一番だと、活動家の遠藤まめたさんが教えてくれた)。結果は芳しくなかった。国民が高く支持する水際対策に対して一石を投じるわたしたちの訴えに、多くの議員が難色を示した。与野党の力関係や党内での立ち位置を理由に丁重に断られることもあった。
 
12月中旬、水際対策強化の引き金となったオミクロン株の国内感染状況は、収束の兆しどころか日増しに深刻さを帯びていった。

わたしはそれまでのテレビのない生活をあきらめ、ワンセグ放送用の小型テレビを買って臨時国会を見守った。小さな画面の向こう側では、18歳以下への10万円のクーポン券給付をめぐり与野党の議員と閣僚たちが不毛な議論を延々とつづけていた。クーポン券の支給には学校が何百と建つほどの予算が必要になるらしい。当初12月末までとされた入国制限は「当面の間」継続されることが決められた。まるで、そうするすことが当然であるかのように。


このまま待っていては、いつ彼女に再会できるか分からない。わたしは、むこう2カ月の仕事をキャンセルしてベルリン行きの飛行機を予約した。払い戻しできないという彼女の航空券、失った仕事、安価とはいえない渡航用の陰性証明、入国制限のためにどれくらいの金銭的損失が生まれたのか、わたしたちは意識的に考えないようにしていた。

欧州ではQRコード式のワクチン・パスポートがなければ何もできない、と聞いていたが、12月のその時点で、日本では紙の証明書しか発行してもらえなかった。国民の3割弱しか使わない接触確認アプリを人材派遣会社に発注して巨額の損失を生みながら、いまだデジタル証明書もなく、ファックスで感染者情報の管理をするという不思議な国。

その3週間後にベルリンで出会った薬剤師のことを思いだす。ドイツに到着して早々、英語で発行してもらったワクチン接種証明書を握りしめて、わたしたちは駅の薬局を訪れた。薬局に行けば証明書をデジタルに変換してくれる、そう聞いたからだ。

「日本に紙の証明書しかないって、そんなウソが通用すると思います? なにしろ最先端の国ですよ! 日本では(ワクチン証明の)QRコードがなかったら電車にも飛行機にも乗れないんです。だいたいあなた、本当に日本人?」、窓口の薬剤師は、決然とそう言いきった。「あの、信じられないかもしれないけど、日本ではコロナのことファックスで連絡するんですよ、ファックスで」、わたしは日本に旅したことはないというその薬剤師にそう教えたかったが、同胞の名誉のためにやめておくことにした。

戦後日本が内外に向けて維持しつづけてきたイメージ――先進テクノロジーに支えられた、エキゾチックで精巧な社会。そのイメージは1980年代、市場にあふれ出した日本製品や電子機器、ポップ・カルチャーが放った眩いきらめきの残照なのかもしれない。欧州にいると時々、そんな気持ちにさせられる場面に出会う。
 

世論が変わらなければ政治は動けない――ある与党議員との面談

 オンライン署名が5,000筆に迫るころ、さる民間シンクタンク代表の厚意によって、この方面にもっとも明るく官邸に近いという与党議員を紹介してもらえることになった。さっそく議員事務所に連絡すると、15分の予定を空けるので指定された日時に議員会館の事務所まで来てください、と返答があった。

12月21日、ベルリンへ発つ日、馴れないネクタイを締め、澤井さんロッシさんオータバシさんChange.orgの山村さん、遠藤さんと、永田町で待ち合わせた。議員会館前の窓口で入館証を借り、議員事務所のドアを叩く。しばらく待ってから会議室に通され、議員に対面した。

「……待機留学生のことは他からも陳情が来ているので認識しています。日本人の家族については「配偶者等」在留資格で入国できますよね。」
議員は注意深く嘆願書に目を通してから、よく通る声でそう言った。

「ですが、日本人の家族や配偶者が必ずしも在留資格を持っているとは限りません。」
澤井さんがすかさずフォローに入った。

 
繰り返しになるが、在留資格とは外国人が日本に在留する間に一定の活動を行うために必要な入管法(出入国管理及び難民認定法)上の法的な資格である。従って海外が主拠点の国際家族は日本の在留資格を持つ必要がない、またはそもそも持てない場合もある(日本での収入がなく、住居や身元保証がない場合など)。また国際結婚して間もないカップルの場合、とりいそぎ90日の短期滞在査証で配偶者を日本に呼び寄せ、その後で在留資格申請を行うのが慣例になっていることも見落とされがちである。配偶者を短期滞在査証で呼び寄せる理由は、いつ発給になるかわからない在留資格を待つ間にも新生活の準備をするため(在留資格の審査期間は通常1〜3カ月とされる)、あるいは何らかの理由により在留資格の取得に問題が生じた場合でも、少なくとも短期滞在期間中は離散状態を回避できるからである。

さらに、在留資格を持たない国際家族のために設けられた「特段の事情」という例外にしても、しばしば水面下で基準が変わっていたり、各地域の在外公館によって判断が大きく異なっていたりすることも問題だった。

15分の持ち時間はとうに過ぎていたが、オータバシさんの切実な訴えと遠藤さんの交渉術に支えられ、わたしたちはその議員の紹介で外務省の担当高官につなげてもらえることになった。議員は席を立ち、最後に付け加えた。

「いま水際対策は国内で相当支持されているし、与党としての立場もありますから。世論が変わらないと政治は動けない。だからがんばってくださいよ。」

世論が変わらなければ政治は動けない――羽田空港に向かう道すがら、わたしはずっとその言葉を反芻していた。それって、日本の政治はポピュリズムに過ぎないと公言するようなものではないか? いま起きていることが人権問題だとしても、日本の政治家は人権より世論を優先するのだろうか?

強い違和感として呑み込めずにいたその言葉は、しかし、飛行機が離陸するころには少し違う意味を帯び始めていた。世論を動かすことができたら、政治を変えることができる――議員の言葉を逆に解釈したら、そういうことになるではないか。

パンデミックと人権

この頃、ソーシャル・メディアでは待機留学生を中心に活発な情報交換が行われていた。メディアを通じてわたしたちの運動が認知されはじめ、内外から抗議の声が大きくなるにしたがって、掲示板や留学生たちのツイートに日本人によると思われる書き込みが目立つようになった。日本の「鎖国」体制を憂い当事者たちを気遣う共感の声が寄せられると同時に、入国希望者の「身勝手さ」を諭す言葉、外国人嫌悪(ゼノフォビア)を隠そうともしない痛々しい発言も多々あった。

待機留学生の中には、日本との時差による連夜のオンライン授業で体調を崩した人や、将来の不安から毎日自殺を考えるという人までいた。文化庁は2021年11月、入国前の留学生を対象にオンラインを活用した日本語教育を推進する、と発表した。しかし時差やネットや電力のインフラ事情が異なる諸外国の現実をどれほど理解していたのか、疑問を抱かざるを得ない。昼夜が逆転した生活を余儀なくされ、具体的な予定も知らされぬまま待ち続けることが、10代、20代の心と身体にどれほどの影響を及ぼすか、想像するのは容易い。限界すれすれの状態に置かれた彼/彼女らにとって、いまだ見ぬ日本という国から届く冷たい言葉はどう響いただろうか?

ネット掲示板やSNSに寄せられる発言の傾向をつかむため、待機留学生たちに呼びかけて日本から届く否定的コメントを集めてもらうことにした。集まった100件ほどのコメントを読む限り、入国制限強化を支持し外国人の入国を嫌う人々の語りは主として次の2つの論理に支えられているようだった。

第一に「外国人が感染拡大の主因である」という論理、第二に「当事者個々人、外国人の権利よりも自国民の生命や公衆衛生が優先されるべきである」という論理である。

第一の論理について、国際的な往来が感染症の伝播を促進することを疑う余地はない。また新規感染症の感染拡大初期において、水際対策が国内の体制を整えるための「時間稼ぎ」として有効である可能性も十分に理解できる。しかし当時、国内ではすでにオミクロン株の感染が拡大の一途を辿っていた。すでに国境を越え国内で蔓延する病原体を制圧するために、国境を閉ざしつづける理由はどこにあるのか。少なくとも、これほど市中感染が進行した状況で水際対策の有効性を実証した研究は、わたしが調べた限りでは存在しない。2020年秋までの政府の新型コロナ対応を検証した民間臨時調査会は、水際対策とは「国内と国外で感染症の拡大状況に差がある場合に意味がある」施策であり、「感染拡大の状況が同程度の国々の間では、水際対策は意味を失う」と指摘している(一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』ディスカバー・トゥエンティワン、2020、222頁)。

そして、感染拡大初期において国際往来を制限する必要があるならば、本来は日本人の出入国も同時に制限するべきだった。先述のように過去2年間の日本入国者の大部分は日本人だったから、変異株流入の主因を外国人に求めるのは論理的に破綻している。

第二の論理は実のところ少々複雑である。家族の結合に干渉する措置が人権侵害にあたることは世界人権宣言12条に照らして明らかと思えるが、パンデミックや戦時といった特殊な状況下では、人権の制限が一定程度容認されるケースが存在するからだ。

たとえば日本人の「移動の自由」は日本国憲法22条「居住、移転及び職業選択の自由」によって守られるが、それが「生命権」(同13条)「存権・公衆衛生」(同25条)及び「公共の福祉」(同13条)への脅威となる場合、個人の自由は憲法の範疇で制限されうる、とする指摘がある(秋山)。

その一方で、国際法においては「市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」、いわゆる「自由権規約」で規定される義務からの逸脱/違反や、人権の制限に関する国際的基準として、「シラクサ原則(市民的及び政治的権利に関する国際規約の制限及び逸脱条項に関するシラクサ原則)」が定められている。

感染症の蔓延を防ぐ目的等により国家が人権の制約を行う場合に、「シラクサ原則」は次の5つの条件を求めている。すなわち、かかる施策が ① 法律に従って規定され実施されること、② 正当な目的にかなう釣り合いのとれたものであること、③ 目的の達成のため民主的社会で必要不可欠であること、④ より制限的でない措置がとられるべきこと(他に侵襲性や制限の度合いがより低い措置がなく、止むを得ない選択であること)、⑤ 科学的根拠に基づくものであり、恣意的、不合理かつ差別的でないこと、の5点である(棟居)。

しかし、日本の現行入国制限が基準 ⑤ を満たさないことは明らかだ。日本人の往来を無制限に認めながら外国人を差別的に排除し、その必要性を証明する科学的根拠も示されない以上、国際社会において現在の日本の入国制限(2021年12月1日以降、2022年3月29日時点)が正当化される余地は極めて乏しいと言わざるを得ない。
  

「ウィズ・コロナ」のベルリン、外務省外国人課への署名提出

インスタンブールで乗り継ぎ、あれこれと考えつづけて一睡もできないまま、飛行機はベルリン・ブランデンブルグ空港に到着した。

入国審査カウンターには若い男性係官が座っていた。来独の理由を尋ねられ、「相方を迎えにきたんです」、と答えた。係官はマスクの向こうで微笑み、「おかえりなさい、お連れ合いと良い休暇シーズンを。」と言ってパスポートにスタンプを捺してくれた。

到着ゲートをくぐると、彼女が待ち構えていた。何だか少しやつれたようで心配だったが、よかった、本当に来た、と言って彼女は涙ぐんだ。彼女と一緒に日本に入国できるようになるまで帰らないつもりだったが、仕事も人脈もないベルリンに果たしていつまで留まっていられるか、本当のところは不安で一杯だった。

いつもならそこかしこにクリスマス市が立ち、上気した顔が区々を行き交う季節だったが、パンデミック下のベルリンは静かだった。当時ドイツ国内におけるオミクロン株の感染者数は世界でも1、2を争う様相を呈していたが、それとは対照的に、道行く人々にはむしろ平穏さが漂っているように感じた。ドイツではワクチン接種が進み、マスク着用や「3G」ルール(公共交通やレストランなどを利用するには、ワクチン接種者/geimpfte、感染からの快復者/genesene、コロナ検査実施者/getesteteであることが条件。年明けごろにブースター接種を追加した「2Gプラス」になった)が社会に浸透したことによって、コロナはすでに日常生活の一部となっていた。友だちや家族に会うときは市販の抗原検査キットで陰性を確認してから訪問するのが、欧州では新しい習慣になりつつあった。

やがて年が明けて2022年になり、オンライン署名は12,000筆に迫っていた。
与党議員が紹介してくれた外務省外国人課の担当官は、入国制限の緩和を求める署名と嘆願書を提出したい、というわたしたちの要望に驚くほど気さくに応対してくれた。正月明け1月6日に署名提出の約束をし、わたしはオンラインで参加することになった。実際に外務省を訪れるのはいつもの顔ぶれで、オータバシさん、ロッシさん、澤井さん、それにChange.orgの山村さん、遠藤さんである。

6日当日、東京は大雪に見舞われた。わたしは未明に起き、パソコンを立ちあげて待ちかまえた。

省内の会議室でわたしたちを迎えたのは、とにかく雄弁な担当官だった。その熱気にやや気圧されながらも、わたしたちは、少しずつ当事者たちの状況や嘆願書の内容について説明していった。

担当官は、外国人課は「特段の事情」として届けられる案件すべてに目を通していると言った。認めるのが難しいいくつかの申請に対しても、人道上の配慮から柔軟な対応がとられたケースがあった。制限強化による膨大な追加業務と当事者たちから殺到したクレームによってこの問題をいやというほど実感したであろう現場は、中央省庁としての立場と人間的配慮のはざまで板挟みにされているのではないか――詳細を記すことはできないが、担当官が話してくれた色々の実情の言外には、そう感じさせるものがあった。会議室を辞去するとき、約束の30分はとうに過ぎ、1時間半が経っていた。

面談を終えた数時間後、わたしたちはオンラインで記者会見を行った。メディア各社に加えて国外に取り残された数百人がわたしたちの報告を見守った。

数十万人の当事者を背景に12,000筆の署名は正直なところ心許なかったし、日本国内の反応を見る限り、わたしたちの運動にどれだけの効果が期待できるか未知数だった。家族や当事者たちの人権と人の命、一体どちらが大事なのか? 底知れないネット空間の暗がりから、そんな声が聞こえてくる気がした。

ところがその後、わたしたちの懸念をよそに、風向きは目に見えて変わりはじめたのである。

日本の国境が緩んだ――2021年1月11日以降の急展開

2022年1月11日、楽天グループCEOの三木谷浩史氏のツイートに、メディアは大きな関心を寄せた。「今朝の岸田総理の発表 今更、新規外国人を入れないことになんの意味があるのか? 判断があまりに非論理的すぎる。日本を鎖国したいのか?」 外国人の新規入国を原則禁止する措置を2月末まで継続する、とした岸田首相の発表を受けてのことだったが、三木谷氏のこの発言を端緒に現行の水際対策を公然と批判する著名人、財界人が相次ぎ、その中には複数の与党議員の顔も見えた。

世論を動かすことができたら、政治を変えることができる――その苦し紛れの逆説が、意外にも早く実証されることになったのだろうか? 当事者たちは、疑いながらも期待を募らせていった。

1月13日、一部の在外公館が「特段の事情」による短期滞在査証の発給を再開した、との情報がスイス在住のTwitterユーザーから寄せられた。在ベルリン日本大使館に確認したところ、日本時間11日に日本政府から一部条件緩和の通達があり、これを受けて日本に入国できなくなっていた当事者たちに順次連絡しているところだ、との回答だった。政府には正式な発表をしない何らかの事情があり(政権の支持率低下を恐れてのことだろう、と抗議運動のメンバーと話し合った)水面下で制限緩和が行われた、ということらしい。

わたしたちは大使館に電話をかけ直し、早速短期滞在査証の申請を行った。あまりに頻繁に問い合わせるのですっかり馴染みになった女性職員が電話に対応してくれ、前回の査証申請資料がそのまま使えること、手続きの簡略化で中央政府の審査がなくなったため最短3日で発給できる、と教えてくれた。職員は、とにかく日本に渡航できるようになってよかったです、と電話の向こうで喜んでくれた。

3日後、わたしたちはバスに揺られてヒロシマ・シュトラーセ(ヒロシマ通り)まで出かけ、大使館で査証を受け取った。

帰りみち、パスポートに糊付けされた90日査証を何度も見直しながらも、わたしたちはまだ半信半疑だった。

「特段の事情」で申請できたわたしたちは渡航が叶ったが、それ以外の人々、国際カップルや同性婚者、留学生、労働者をはじめとする多くの当事者たちは取り残されたままだった。そして、日本政府がいつまた制限強化に踏み切るか、すべてはあまりにも不確実だった。

――これは、わたしたちの抗議活動が実を結んだ結果なのだろうか?

その答えは分からなかったし、これからも分からないだろう。しかし、岸田政権肝いりの水際対策とは政情によっていつでも翻る風見鶏のような政策であり、政府が現行の入国制限の問題を認め新たな指針を作らないかぎり、当事者たちはいつまでも翻弄されつづけるだろう。わたしたちはそう確信するようになっていた。
 
以下、2022年1月11日以降の主立った動向を整理してみる。

 
● 2022年1月10日
政府は水際対策の一部緩和の検討を表明する一方、水際対策の「骨格」は二月末まで維持とした。林芳正外務大臣は定例会見の記者質問で「(入国制限について)人道上等の配慮が必要な事案については、引き続き個別の事情を勘案しながら対応する」と述べた。

 
●2022年1月14日
政府は新型コロナウイルスの水際対策で原則拒否していた留学生の新規入国を一部容認する検討に入った。この時点では、来日しなければ進級・卒業できないなどの事情を抱えた国費留学生らに限定して認める案としていた。また、受け入れは数百人規模にとどめる見通しで全面解禁にはまだ遠かった(後日この措置により実際に入国できたのは、文部科学省奨学金留学生87名のみ)

 
● 2022年1月18日
アメリカ人労働者が立ちあげた抗議活動「STOP! JAPAN'S BAN」による世界同時デモが始まる。各国の日本大使館前に、プラカードを持った当事者たちが集まり日本の「開国」を迫った。

 
●2022年1月19日
WHOは、新型コロナウイルスに関する緊急委員会の議事概要を発表し、感染対策として日本など一部の国が導入している渡航制限を撤廃もしくは緩和するよう提言。「既に渡航制限によるオミクロン株の感染拡大防止に失敗したことが実証されており、こうした措置を取る価値はなくなった」

 
●2022年1月24日
経団連・十倉会長が「最初に大きく網をかけるのは正解だったと思うが、オミクロン株が大勢を占めるようになってきた中で、続ける意味は無いように思う。見直しを早くやってほしい。オミクロン株の特性に応じた対応で、社会経済を回していくべきだ」と発言。

 
●2022年1月26日
東京都内の感染確認は1万4086人、陽性率は2021年8〜9月にピークを迎えた第5波を上回り、30%を超えた。

●2022年1月27日
類似の署名活動を立ちあげた日本語学校経営者トゥー・ゾウ・タット(Htoo Zaw Htat)氏とわたしたちの抗議グループが合同でオンライン記者会見を行った。氏の署名への賛同者はこの時点で3万5000人。

官邸幹部からのリーク記事「国内感染者の急増で海外の感染者数との差が縮まってきた。水際対策の前倒し緩和はやらなければいけないし、首相の意識もその方向に変わってきている」

●2022年1月28日
厚労省関係者からのリーク記事「官邸は厳しい感染対策に執着し、オミクロン株の特性を踏まえた対応が遅れている」

 
●2022年2月1日
政府は留学生400人の入国を容認。既に認めた国費留学生87人に加えて300人程度を合わせた人数。

 
● 2022年2月3日
「東京都などの「まん延防止措置」延長の方向で検討 27日までの案も」

 
海外複数経済団体が「日本の入国制限措置に関する共同声明」を発表。https://ebc-jp.com/wpdata/wp-content/uploads/2022/02/220203-Joint-Statement-on-the-Entry-Restrictions.pdf

 
●2022年 2月4日
山際大志郎新型コロナ対策・健康危機管理担当大臣、国会で「日本にとって必須の外国人の方の入国についてどんどん広げるという方向にある」と発言。(当事者間では「必須の外国人」という表現が問題に。批判を込めてTwitterのアカウント名を「必須の外国人」に変更する人も。)

 
政府は「早ければ来週にも水際対策緩和措置の方針を示す見通し」

 
●2022年2月12日
岸田首相、水際対策の体制、航空会社のワクチン職場接種視察のため羽田空港を訪問。記者団に対し「緩和に向けた検討を進めていきたい」

 
●2022年2月13日
「入国制限3月緩和へ 1日上限5千人軸 対象はビジネス・留学生」の報道。

 
●2022年2月14日
「自民 文部科学部会 留学生受け入れ求める決議案 政府に提出へ」

 
●2022年 2月17日
政府、3月1日からの水際緩和について概要を公表。手続きの簡略化など示唆。

 
●2022年3月1日
入国制限緩和措置が開始。緩和の内容は「ビジネス目的や留学生、技能実習生などの入国を認める」、「一日あたりの入国者数の上限をこれまでの3500人から5000人に引き上げる」、「入国後の停留(隔離施設での待機)期間は、ワクチンの3回接種などを条件に免除または3日間に変更」、「入国手続きの簡略化」

 
●2022年3月3日
岸田首相は記者会見で、3月14日より「1日あたりの入国者数の上限を現在の5000人から7000人に引き上げる」と発表。留学生が優先的に入国できる仕組みも示唆。

 
●2022年3月9日
政府、検疫体制が整う見通しから「入国者数上限を1万人に引き上げる方向で調整」

 ※このほか日本の水際対策に関する情報は毎日新聞の連載記事「令和の鎖国」に詳報あり

 

 「国益」の語りと「人権」の語り――忘れられた国際家族とカップル

2022年1月11日からの流れから、以下2つの点が読み取れそうだ。

1つ目は、政府は急激な方針転換によって支持率低下を招かないよう「小出し」とも言える段階的制限緩和により軟着陸を試みようとしている、という読みである。

制限緩和の理由として、厚労省は検疫体制の準備が整いつつあることを挙げている。しかし、隔離施設での停留の免除あるいは大幅な緩和はむしろ逆の実情を示唆するのではないだろうか。すなわち、政府が求める入国者数に対して3月1日以前の検疫方式では到底立ち行かないために、水際対策そのものを変更してしまおう、と考えた可能性がある、ということだ。数字や号令が先行した結果、周到に検討・準備されるべき運用手段や、本来なら施策の拠り所となるはずの基準そのものを辻褄があうように「調整」する――福島第一原子力発電所事故以来、あるいはもっと以前から、わたしたちは、よく似た場面を繰り返し目撃してきたはずだ。

2つ目は、制限緩和に関する語りの変化、当事者像の変化である。
2021年12月、わたしたちの抗議活動は「国際家族の離散を生んだ入国制限」の緩和を「人権」の観点から求める運動として始まった。しかしその後、経済への影響が議論され、技能実習生が来日できないことによる労働力の不足、15万人の待機留学生の問題が大きく注目されるにつれ、取り残された国際家族や国際カップルについてメディアが取り上げる機会は目に見えて減っていった。

これまで岸田首相と関係閣僚が入国制限の被害を受けた国際家族や国際カップルに言及したことは一度もなかったが、いよいよ緩和に向かう段になって彼らが強調したのも、案の定、経済活動や労働力、留学等によってもたらされる「国益」についてだった。

たとえば、2022年3月1日の記者会見で松野内閣官房長官は「ビジネスなどの国際的な人の往来を増やし、技能実習生を含む人材の新規入国を認めることは日本の社会経済活動の活発化に資する」とし、留学生の受け入れは「外国との友好関係を構築し、日本の教育研究力の向上や発展にきわめて重要であり、公益性が高い」と述べている。

その発言そのものに倫理的問題があるわけではない。しかし、こうして入国制限の緩和が「国益」や経済の語りに回収されてゆくに従い、国際家族や国際カップルの存在は「人権」の語りとともに背景化していくことになったのである。

山際大臣が2月4日に「必須の外国人」と答弁したことも、政府が水際対策について人権意識に基づいて捉えていないことを裏付けるように見える。もし「必須の外国人」がいるならば「必須でない外国人」も存在することになる。山際大臣は、ある外国人が日本にとって「必須」かどうかは国が選別する、と事実上明言したに等しく、現在も「特段の事情」がない限り入国が許されない国際家族、同性婚配偶者、国際カップルたちは、結果として日本政府によって「必須でない」外国人としてひと括りにされてしまったことになる。

社会への短期的な影響力がより強く、大多数に関係する問題をメディアが優先的に報じるのは仕方のないことかもしれない。しかし、民主主義国家において経済を含むあらゆる活動の基底に存するべき人権意識を、日本の多くの政治・経済のリーダーたちの語りや一部報道から感じ取ることができない、と思うのは、当事者のナイーヴすぎる感じ方だろうか?

2022年2月3日、海外の複数経済団体は、日本の入国制限の緩和を求める共同声明を発表した。これによると「経済的・社会的苦痛を生じさせている」渡航制限に対して、「日本が科学的根拠に基づいた入国政策を早急に導入し、ワクチン接種済みの転勤者や出張者、学生と教員、そして分離された家族の入国が許可されるよう」求める、としている。少なくともこれら海外経済団体の間では、社会の健全性や家族の結合が経済と不可分な要素として自然に意識されていることが感じ取れる。

政治的文脈において「国益」が何を意味するかは常にゆらぎ不明瞭だが、少なくとも現代の民主主義国家において、社会・経済の発展は人権の尊重と対置される概念では決してなかったはずだ。しかし、日本国内の貧困問題、労働問題はもとより移民、難民、外国人技能実習制度問題の周辺を俯瞰するとき、それら諸問題にまつわる経済の語りと人権の語りの間には深い亀裂が走っている、と言わざるを得ない。

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*記事見出しの写真は、2021年12月19日、成田空港にて筆者撮影

新井 卓(あらい たかし)
1978年、神奈川県生まれ。アーティスト・映画監督。ダゲレオタイプ(銀板写真)の技法で写真を撮る。2016年に第41回木村伊兵衛写真賞を、2018年に映像詩『オシラ鏡』で第72回サレルノ国際映画祭短編映画部門最高賞を受賞。写真集に『MONUMENTS』(PGI)など。
TAKASHI ARAT STUDIO(公式サイト)https://takashiarai.com/
twitterアカウント @TakashiArai_78


[参考]以下の動画は、藤原辰史さんが主宰するパンデミック研究会のトークプログラムに新井卓さんが招かれ、藤原さん・石井美保さんと、執筆中であった本稿の内容を踏まえて話されたものとなります。

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