商社マンから一転、介護事業で独立。複合施設「アンダンチ」ができるまで
僕が社長になった理由-福井大輔さん
一生安心して暮らせる町づくりとして、国としても舵を切っている地域包括ケア。生まれ育った仙台で、フロントランナーとして推進している福井さん。「福ちゃんの家」という小規模多機能ホームを開業し、続けて「アンダンチ」という多世代交流の場としての複合施設をスタート。一方で、学生時代に行ったアフリカへの思いを今でも大事に抱えて、今やっていることが、いつかアフリカの地につながるようにしたいと言います。
2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。
福井 大輔(ふくい だいすけ)さん
株式会社 未来企画 代表取締役社長
NPO法人 まちあす 代表理事
NPO法人 アマニ・ヤ・アフリカ 副理事長兼事務局長
Over the wall
【略歴】
1983年誕生
早稲田スポーツ科学部卒 バックパッカー ケニアインターン留学
2008年4月〜2013年9月 商社勤務
2013年10月 未来企画 代表取締役就任
2015年7月 福ちゃんの家
2018年7月 アンダンチオープン
アフリカでは1人、自分のことを考える時間と
陽気で楽しい人々との交流。どちらも最高の時間**
仙台で生まれて、ずっとサッカー少年でした。僕の選手としてのピークは中学3年のときでしたね。全国大会には出ていたものの、自分が全国レベルではないと実感し、プロは考えられませんでした。スポーツは好きだったので、何かしら携わりたいという思いで、大学ではスポーツ科学部に入り、教師になれたらいいかな、と考えていました。高校時代に熱血の体育の先生がいて、スポーツ指導できる仕事は楽しいだろうな、と思ったんです。
大学時代は休みごとに海外にバックパックで旅行していました。2005年、2年生の時に行ったケニアへのスタディツアーがキッカケで、翌年大学のスタディツアーをコーディネートするスタッフとしてケニアに半年ほどインターンシップという形で派遣されることになりました。
そこでの日々はかなり大きな経験になりましたね。インターネットもオフィスでしか使えず、それこそしょっちゅう停電するようなところで、日本人は僕1人。夕方6時半過ぎからはずっと1人で、読書をしたり英語を勉強したりしながら、ひたすら内省を繰り返す日々でした。そんな状態なので、言語ではうまくコミュニケーションを取れない現地の人たちと、ノリやジェスチャーで通じ合って仲良くなれたこともいい経験です。ケニアのスラム街にあるマゴソスクールというところへのスタディツアープログラムを作り、その後いろいろ活動を共にする(Over the wall)仲間との出会いもありました。
※ Over the wallの活動は、アーティストであるミヤザキケンスケが率いるプロジェクトチームで、年に1回、世界の困難を抱えた地域で壁画を描くというもの。2017年ウクライナ、2018年エクアドルは同行メンバーとして福井さんも参加したのだそう。
卒業後は、大学院でアフリカについて学ぶという道もあったんですが、目的があいまいすぎて決断できず、とりあえず就職活動を始めて、そのまま就職しちゃいました。じつは、卒業旅行も1人でアフリカ南部に行きました。就職を決めたことで、アフリカへの惜別の旅って感覚でした。
就職は地元仙台の商社。総合商社の東北支社のような会社で人数も少なく、3か月もすると自分1人で営業するようになり、いろいろな経営者や支店長の方たちにもお会いすることができました。時間管理も自分に任されていたこともあり、定時で帰れる日もあったので、夕方からは財務諸表の勉強をしたり自己研鑽に充てていました。
2009年、社会人2年目に参加したセミナーでは、学生時代ケニアでお世話になった方の講演で、その後、マゴソスクールを支援しているNPO法人の理事長とお会いし、ケニア支援の活動に参加することに。その約半年後、団体の理事としての役職もいただきました。やっぱりアフリカへの思いが断ち切れず、Over the wallの前身であるケニア壁画プロジェクトの立ち上げにも携わり、バックアップしながら、プロジェクトにも参加しました。
会社員とプライベートの活動とをやりくりしているうちに、福井さんはある決断をすることになります。それは、今までのキャリアや経験からはまったく違う世界の仕事を始めることになるのです。
独立してまったくシロウトだった福祉業界へ
介護事業をスタートするとさまざまな課題が
結婚した彼女の父が医師であり、2011年9月に独立開業しました。腎臓の専門医であり、人工透析も行なっていました。ある時、義父より「高齢の透析患者さんが自分の行く末を案じる声が聞こえてくる。透析患者さんが少しでも安心して住めるような住まいを考えられないか?」と問われました。当時は震災後1年。資材や人件費も高騰している中で、住居を作ることの難しさを感じました。しかしながら、クリニックでは在宅診療も始めていたので、まずは介護のケアの地力をつけることを目的に、2013年10月、株式会社未来企画の代表に就任し、介護事業に取り掛かることを決断しました。
それから、介護のことを学び始め、国の指針や利用者さんにとって良いサービスとは何かを考え、多くの方にお話を聞き回りました。その後、事業計画や銀行融資を取り付けることができ、小規模多機能ホーム『福ちゃんの家』を2015年7月に開所することができました。
介護事業になんの知識もないところからのスタートでしたが、知らないからこそ新しいやり方を取り入れられたのかもしれません。常にSNSで情報発信をしながら進めていくうちに、利用者も従業員も集まるようになりました。とはいえ、オープン1年半くらいはかなり大変でした。利用者さんは集まらない、スタッフのマネジメントが不十分で辞めていく。一時期、3か月くらい毎日泊まり込み状態で働いていたこともありました。社長とはいえ、自分がやっているサービスのことを理解できてないとダメですから。最初のころは、とにかく率先して現場に立っていました。
利用者さんがほぼ定員になりそうなのが見えてきた2年目後半に、次の事業の構想を考え始めました。小規模多機能ホームを運営すると、ご家族や病院の連携室から“住まい”のニーズに直面しました。小規模多機能ホームは自宅での暮らしを支えることに主眼を置いており、住まいそのもののニーズには簡単には応えられないため、住まいの事業化も進めることにしたのです。
じつは、小規模多機能ホームの開所前から、医療的ケアが必要になった高齢者の「今までの暮らしを続けたい」との思いに応えるために、小規模多機能に訪問看護を加えた看護小規模多機能サービスの事業化を見据えていました。
併せて『暮らしの保健室』のような気軽に医療介護の相談ができる場所も作りたいと考えていました。一般の方が気軽に訪れるようにするためには、飲食店と組み合わせるのがよく、食事からライフスタイルの提案をしたり、アイドルタイムには医療介護、食育などの講座を行うこともできる。住民が情報に触れる機会を増やすことで、医療介護に対するリテラシーの向上にも 寄与できるのではないかと考えました。
福祉事業でサービスが行き届いていないところが見えてきたことで、福井さんは一気に課題解決に着手します。そこから生まれたのが『アンダンチ』。地元の方たちが求めている声を細かく拾うことで、本当に必要なモノを入れ込みながら、新しい暮らしのスタイル提案の場になっています。
介護事業からスタートし、
多世代交流のための複合施設が完成
目指すはグローバル展開で、アフリカまで!
この 2つの事業を同時に進めていたのですが、どちらも良い物件には出合えずにいると、幸か不幸か土地区画整理事業地の1000坪の土地と巡り合えました。2つの事業を 1つに合わせ、さらに働きやすさと日常的な多世代交流を促すための保育園を加えたものが、『アンダンチ』の原型であり、成り立ちです。
そしてついに、2018年7月、『アンダンチ 医食住と学びの多世代交流複合施設』がオープンしました。2019年4月にはアンダンチとは別の場所ですが、障害児向けの放課後等デイサービスもスタートしました。
大変好評を得てますが、大変です。なんせ、11億円も借りてしまったのに、うまくいかない部分もまだ多いですから。ただ、ありがたいことに、同業種、異業種の双方の方たちから視察したいと連絡をいただくことや、地域の方たちから声をかけてもらうことも多くて、可能性はいろいろありそうな気はしています。
最近では、アンダンチの隣の敷地や空き家ビジネス、団地の有効利用などの話も相談されるようになりました。「アンダンチを他の地域でも作らないか?」みたいなお誘いもあるんですが、さすがにそれはお断りしています。アンダンチは地元密着で、みなさんの声を聞きながらだから、できたものであって、まったく知らない土地でイチからやるのは難しすぎます。
とはいえ、海外で同じモデルを開発できたらいいかなとは思っています。今後、確実に高齢化が進む近隣の中国や台湾、マレーシア、シンガポール。。。着々と西へ進んでいって、いつかアフリカまでたどり着けたらいいなって。僕にとってアフリカは、特別な場所でいつか何かしらのカタチで戻ってきたい場所なんです。マソゴスクールを卒業した子たちが、自分たちでビジネスをして地元に還元できるように、そのための支援を僕のビジネスでサポートできたら最高だなって思っています。
福井さんの印象はムダな力が入っていない自然体な人。周りからの期待や大きすぎる借金を抱えて「ヤバイよね~」と笑顔で答える。社会課題の解決という熱い想いだけでなく、ビジネスマン的な判断力を持っていることが彼の最大の強さなんだということが、インタビューで見えてきました。世界がまだ経験したことのない超高齢社会の日本だからこそできること。日本の福祉を世界へ。きっとやってくれる気がします!
また、福井さんのnoteでは、これらのストーリーをご自身の視点で書いています。そちらもぜひのぞいてみてください。
福井さんnote⇒https://note.com/miraikikaku
下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!