創業1949年_東京日本橋_やきとり宮川

飲食店経営と研修事業を行うプロの社長。人材育成がいい会社の基本

僕が社長になった理由-星 浩司さん-
日本橋の下町に生まれ育った星さん。「実家は鶏肉の卸問屋、周りはみんな商売やっている家ばかり。自然と社長業をやりたいな、と思っていた」と言います。「逆に、サラリーマンとか会社員はわからなかった」のだそう。それでも、サラリーマンを経てから社長に。星さんのあえて"社長業"と表現するのには意味があるそうで、その意味はのちほど判明しました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

画像1

星 浩司(ほし こうじ)さん

有限会社宮川商店 代表取締役社長
大学卒業後 サッポロビールに就職 大阪支店の食品部門に配属される
東京に戻り、大規模プロジェクトを経験し
2006年 退社して、家業を継ぐ
 事業整理を行う
2007年 やきとり宮川 溜池山王をオープン
2011年 やきとり宮川 四ツ谷をオープン
2012年 やきとり宮川 大手町をオープン
2014年 やきとり宮川 豊洲をオープン
2017年 鶏の宮川 赤坂インターシティAIRをオープン
2020年 5店舗目がオープン予定

あまのじゃく的な逆張り思考で理系を選択
就職後は配属先で自由に挑戦できた8年間

 高校のときに先生から「理系はコツコツやらないといけないから、むいてないよ」と言われて、「じゃあ、自分みたいな人間が理系に行ったらどうなるんだろう? おもしろそうだな」と思って理系を選択しました。
 大学は土木工学科に進みました。理系の就職先って研究員になるか公務員か、研究室からの推薦枠みたいなものがあって、そこで紹介してもらうか、そんな三択って感じだったんです。ところが、バブルがはじけた直後で、紹介枠が減ってしまい、成績順で僕は最初に落ちるわけです(笑)。公務員や研究職はないと思い、改めて就職先を考えることになりました。

 人と会うのは好きだし、営業職がいいじゃないかと思ったところ、一気に就職先の業界が広がってしまいました。実家が飲食業をやっていたこともあり、店で見かけたサッポロビールのケースをキッカケに試験を受けに行き、ミゴト内定をもらうことができました。面接でも理系の人間で営業希望は少なかったので、毛色が違っておもしろいと思ってくれたようです。

画像4

 せっかくみんなが知っている大手企業に就職したというのに、最初に配属されたのは食品部門(飲料)の大阪支社。サッポロの中でも市場規模は最下位レベルだし、社員はみんな中途ばかりで、会社の中ではかなりの亜流部門だったと思います。
 でも、それが逆におもしろかったんです。毎日が新しい挑戦ばかりで、いろいろやらせてもらいました。大阪で8年過ごして、東京に戻ると、今度は飲料の商品開発に行きました。マーケティングはもちろん、商品づくりのノウハウ、いろいろな人たちの思いやビジネスをさまざまな角度から見ることを学べた2年でした。
 その後、社内の新プロジェクトのようなカタチで、エリアごとに個別でやっていた売り上げの大きいチェーンスーパー向けの営業専門部隊を作ることが決まり、そのプロジェクトチームの統括役を担うことになりました。会社としても肝入りのチームを自分の決裁で進めることもできた、最高に楽しい3年間でした。

会社で順調にエリート街道を驀進し、プロジェクトで成功をおさめた星さんですが、この満足感が意外な方向に進むキッカケとなります。そして、社長業を始めた星さんを待ち受けていたのは、厳しい現実でした。

最高の経験を味わえる場所はどこか?
社長になるしかない! だったら家を継ごう

画像5

 最高の経験をした一方で、こんなに楽しい仕事がこの会社で今後もできるんだろうか? と思うようになりました。熟考した結果、サラリーマンでいる限り、社長にでもならなければこのような思いは味わえないだろう、という結論に至ります。ここで小さいときから漠然と思っていた「社長になる」という思いが強く出てきて、どうしたら社長になれるかを考えるようになるわけです(笑)。
 もちろんサッポロのグループ会社の中で社長になれる可能性はあります。ただ、そのためには実力だけでなくタイミングや運も関係してきます。なれたとしてもほんの数年限りの社長業になりそうだということも、現状を見ていてわかってきました。

 そこまで考えると、スパっと心が決まりました。「よし、会社を辞めて社長になろう! 手っ取り早く、家業を乗っ取ろう!」と(笑)。当時、弟が家業を継ぐべく手伝っていたのですが、どう考えても自分のほうが向いていることを親に話しました。話はすぐに決まりました。
 というのも、じつは大きな問題があったんです。家業はバブル時代に拡大させた事業の大借金があり、大変な状況だったんです。でも、当時の僕は「この借金から再生できたら、流通新聞とかの表紙を飾れるだろう!」とか考えていたんですから、ポジティブとかではなくクレージー思考ですよね。
 現実は、僕が考えた再生計画なんて、まったくお話にならなかったんです。八方ふさがりの状態で、さすがにそのときは軽いウツ状態だったと思います。「会社は勢い辞めてしまっているし、逃げられない。どうしたらいいんだ?」って、頭を抱えていました。

画像3

 プロに頼って相談した結果、今の事業はどうにもならないということが判明しました。すべてを手放すしかないってことです。持っていた土地を手放して借金を清算し、イチからやり直すしかない。
 正直、つらいというより、やり方が分かった瞬間に気が楽になりました。何もなくなって、決めたことは2つです。今までやっていた卸の事業はやらずにお店だけ続けること。社長業は行き当たりばったりじゃダメだから、ちゃんと社長業ができるように技術を身に着けること。

いい会社をつくるプロになるべく
社長業の勉強をスタートし、トレーニングし続ける

 一件目のお店はサッポロ時代の仲間に助けてもらって、溜池山王に場所を借りて新規スタートしました。社長業の勉強も小山昇さんの経営塾に行くことでスタートさせました。そこから13年。お店は4店舗に増やし、飲食とは別の研修事業もスタートさせました。
 僕は“社長”という職業をやりたいと思っているので、「いい会社を作るプロ」でありたいんです。教育・訓練を受けたことで人に付加価値がつく、これがプロになるってことです。そして、プロっていうのは、最高のパフォーマンスを発揮するために、常にトレーニングを続けていくものです。アスリートを見ていればわかりますよね。あれがプロの姿です。

画像2

▲星さんは自分が実践した職場改善を、他の企業の方に手本としてもらうための"パクリウォーカー"という研修や、さまざまな研修も行っています。

 例えば飲食業界を見てみると、お店の壁紙は一定期間たつと張り替えるのに、そこで働くスタッフにはお金をかけないんです。いい会社をつくるためには、いい社員が必要です。つまり、いい会社にしたいなら、いい社員になるよう育てていく必要があるはずなのに、それをしない。それって、社員は壁紙以下ってことになんです。特にサービス業はスタッフがお客さまを喜ばせるビジネスなのに、その人材に投資をしないなんておかしな話ですよね。
 プロの社長であれば、いい会社を作るために人材を育てるのは当然なんです。だから僕がやっていきたいのは教育です。教育をすることで生産性向上が実現できたり、よりよい会社が作れると信じているからです。そういったノウハウがしっかり蓄積されて、いいサイクルが回るようになれば、社長が変わっても会社は継続するはずなんです。今、問題になっている事業継承の問題も、こういう人が育っている会社であれば引き受けることができるようになると思っています。

星さんがお店に立つことはありません。現場のことは現場をイチバン知っているスタッフの方たちをしっかり育てておくことで、安心して任せることができるということです。“社長業”をプロとしてやろうと考えると、確かに冷静にさまざまな視点で見ることができる気がします。飲食業に限らず研修事業にまで展開した社長の手腕に、今後も期待しています。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!