私が旅をしてきた事の理由、旅と哲学
海外をバックパッカーとして旅してきた事が、大きな影響を私に及ぼしたのは確かです。それは、常識の嘘と価値観の不確かさを確認する作業だった。私自身がそれを望んだ。これからも旅をし続ける。旅という認識は、単なる場所の移動ではない、生きてる事が即ち旅だと思っている。若い時は何か確かなものを探していました。「探し物は何ですか?見つけにくいものですか?」
大学の哲学科の担任教授は面白い人だった。いつも、よれよれのワイシャツとネクタイをだらしなく着ていた。私は殆ど授業に出ず、カントの純粋理性批判についての論文を出されたが、全く関係のない自分の旅についての妄想を書いたが「良」をくれた。教授室で彼に会った時に君が岩城君かと笑った。
学びは学校や教師に教わるよりも、自分から学びつかみ取るものだと思います。有能な哲学者の教訓や著書は参考に過ぎない。哲学書を読んで丸暗記しても大学で良い成績をもらえるかもしれませんが、それが自分の人生に何も影響を及ばさなければ、全く意味がない。
考えるより、心が感じた方へ動けば、間違える事は少ない。これは私が旅をして得たものです。これからいろいろなところを旅してきた時に感じた事などを書いていきます。私にとって旅をする事は哲学でした。
自分を表現するのは文章とギター演奏。どちらも違う種類の快感が伴う。より良い表現をするためには学習が必要になるがそれは苦ではない。人生に苦行は必要ない。生きてるだけで苦は存在し続けるが、それを凌駕する快感もある。興味のある事は、無理に頑張らなくても出来る。だから、なるべく興味のある事をした方がいいと思っています。甘いと言われるかもしれないが、私の人生は私のものです。