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【FM店主日記Day57】習慣と心構えと言語化

稲垣えみ子さんのシンプルな日常についての本を聴き終わった後、私はローランドの本を聴き始めました。つい昨日のことです。

その結果、あまりの世界観の違いに前後不覚に陥り、今年が令和何年だったかすら思い出せないほどのショックをたっぷりと味わった後、いても立ってもいられなくなって夜の散歩に出かけました。月が綺麗な夜でした。秋の虫たちもほどほどに声を潜める、静かな静かな夜でした。

私は散歩をしながら、書くネタを探していました。千文字程度の文章が書ける程度の、大きすぎず小さすぎずの小ネタを探していたのです。しかし、小ネタはなかなか見つかりません。昨日面白そう、と感じてメモしておいたネタもなんだか悪くなり始めた食材みたいに感じられて、どれもこれもひどくつまらないネタのように思えました。散歩をしてみると道すがらネタが見つかるなんてこともよくある話なのです。

稲垣えみ子さんの本は共感できる内容が多かったがローランドの話に共感要素は少ない

そもそもなぜ小ネタを探していたかというと、noteというSNSサービスにおいて毎日なんらかの投稿をする、というルールがあったからです。その投稿をするための小ネタが一日一つ私には必要なのです。そのルールを決めたのは他でもない私ですし、そのルールを守らなかったら何か悪いことが起きるのか、というと、非常に面倒なことに、かつ、悪意に満ち溢れているとしか思えないことに、これがまったく何も悪いことは起こらないのです。なんならそんなルール明日からなくしてしまっても困ったことに全く問題は起こりません。そんなルールなのに従わないとなんだか罪悪感に苛まれてしまうのです。

しかし、このルールを守ることで良いことは少しだけあります。まず、このルールを守ることで私は書く、という行為を習慣にすることができます。また、常に何かを書くつもりで、つまりアウトプットをするための心づもりで日々の生活を送ることができるようになるので、心構えが変わります。「習慣」と「心構え」が変わるだけでも人生は違って見えたりします。そして、何かを言語に落とし込んで説明することで言葉にならずに消えてしまうことが多い日々の些事を「言語化」して保存しておくことができます。

こうして私がここに綴っている日々の言葉たちはその一つ一つに意味なぞはありませんが、それがしばらくの年月に渡り継続され、ある程度以上の集合体になった時に、それらは何か意味を持つようになる、といったことは断じてあるはずもない、ただのナンセンスの塊であり、ナンセンスの塊の集合体はより大きなナンセンスの塊であり、ナンセンスは数値化するとゼロであり、全てのことを無意味化してしまうので、何を掛けてもゼロになるシンプルに無意味な集合体となります。私はシンプルに無意味な集合体の一部をこうしてせっせと作り上げているにすぎません。

このようにして夜の公園のベンチに腰掛けてiPhoneの小さな画面で千文字、という今日のノルマ文を無事に達成した私は特にその小さな達成を大袈裟に喜ぶこともなく、再び「この世の中には二種類の男しかいない。俺か、俺以外かだ」などの名言で有名なローランドの本をオーディブルで聴きながら、「しかもこの本、本人の朗読かよ」とか思いながら、秋の闇の中へと消えていってしまいましとさ。めでたしめでたし。

フェルマータ店主 KAORU

ここぞという時、家のプリンタのインクは必ず切れている

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