【FM店主日記Day23】中毒と依存症を混同するのは危険だし、中毒と依存症を混同するのは心の弱さであり、中毒と依存症を混同することは禁止するべきである
中毒はいけない、という。中毒は危険だ。中毒は心の弱さだ。中毒を禁止する。中毒なんてやめるべきである。今すぐやめろ。
アルコール中毒、麻薬中毒、ギャンブル中毒、と羅列してみると、たしかにこの中にろくなものはない。どれもやめられるものならやめたほうがいい。
そもそも中毒とはどういう意味なのか?
ウィキペディア先生によると、中毒(ちゅうどく)とは、「毒に中(あた)る」の意味であり、生体に対して毒性を持つ物質が許容量を超えて体内に取り込まれることにより、生体の正常な機能が阻害されることである、とある。
「毒性を持つ物質が許容量を超えて」という部分がおそらく重要なのだと思うけれど、生体の正常な機能が阻害されるかどうか、というのをどうやって判断するか、というのは結構難しいことのような気がする。
お酒を飲んで酔っ払う、というのは要するにアルコールという毒性が体内に入ることにより、脳の機能が正常に働かなくなることによって楽しい気分になったり、判断能力や自動車などを運転する能力が著しく低下したりすることであり、酩酊している状態を中毒と言い換えることもできるような気がする。
中毒と呼ぶとなんだからおどろおどろしいけれど、これらの多くは「刺激物」と言い換えることもできる。年に一回宝くじを買う、や、ラスベガスに行った時にちょっとブラックジャックを楽しむくらいの中毒であれば、特に問題はないし、ずっとシラフでまともなことを言い続ける人よりも、たまにお酒を飲んでわけのわからないことを喋るくらいの人の方が個人的には好感が持てる。バカも休み休み言えっていうのはたしかにそうなのだけど、真面目も休み休み言えっていうのもまた真実なのではないだろうか。
そして、中毒と依存症はまた次元の異なる話であって、依存症になってしまった場合はそれはかなりめんどうなことではあるし、それによって人生を崩壊させてしまう可能性は十分に考えられるので、依存症は良くないとは言えるし、依存症は危険だし、依存症は心の弱さであり、依存症は禁止するべきだし、依存症なんていますぐやめろ、と思うけれど、依存症って気が付いたらなっているもので、中毒はたとえばアルコールが体内から消えれば正常に戻るけれど、依存症はそこからアルコールを求めること以外の行動が取れなくなる、みたいな違いがあるにも関わらず、「あの人ってアル中だよね」などという発言は「アルコール中毒」と「アルコール依存症」が同じものとして語られており、おれに言わせれば。中毒と依存症を混同するのは良くないと言えるし、中毒と依存症を混同するのは危険だし、中毒と依存症を混同するのは心の弱さであり、中毒と依存症を混同することは禁止するべきである。まぜるなきけん、とはこのことだ。みなさまにおかれましても、中毒と依存症を混同することはぜひ避けていただきたい。
余談ではあるけれど、近所の公園に災害が起きた時に気を付けること、みたいなことが書いてある看板があるのだけれど、その項目の一つに「デマを信じない」と書いてある。そもそもデマだとわかっていたらデマなんだから信じないし、デマじゃないと思ってるから信じるわけで、どうやってデマかどうかを判断するかについては全く言及されていない危険な警告なのではないかと通りすがるたびに思っているし、この存在自体がデマなのではないかと思っている。まったくもって世の中は危険に満ち溢れているし、世の中を、べき論で語るべきではないべきだ。
あ。
フェルマータ店主 KAORU
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