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突然、戻ってきた父 ― 認知症との日々

父は数年前、認知症と診断されました。
脳梗塞の後遺症もあり、言葉数が減り、自分のことをうまく表現できなくなってきました。

日々の介助が少しずつ日常に溶け込む中、僕は特別な感情を抱くことが少なくなっていたように感じていました。

しかし、認知症には不思議な波があります。

突然の「散歩に行こう」という言葉


ある日、いつものように父の介助をしていると、突然「外に散歩に行くぞ」と父の声が聞こえました。
驚いて振り返ると、父は自分で服を着替え、僕の方をじっと見つめていたのです。

それまで何年も自分で着替えられなかったはずの父が、その時はしっかりと服を着こなしていました。

階段を急いで降りると、スニーカーを履き、僕を待つ父の姿がありました。
その瞬間、胸の奥がギュッと締め付けられる感覚がありました。

「戻ったんだ、昔の父が」
そんな思いが頭をよぎり、僕たちは二人で散歩に出かけました。

昔の父と過ごすひととき


父は、昔の話をしてくれました。
若い頃の思い出や、家族のこと、僕が子どもの頃の話。
その時の父は、本当に以前の父そのものでした。

僕は、父の言葉を一つひとつ噛み締めながら聞いていました。
穏やかな声、会話が途切れることもなく、僕たちはごく自然に、親子の会話を楽しんでいました。

「こんな幸せな時間がまた訪れるなんて」
僕はその瞬間に包まれる暖かさを感じながら、まるで夢の中にいるかのような気分でした。

夕方が近づき、父と僕は家へ戻りました。
父はそのままデイサービスへ向かい、僕はその日一日、幸せな気持ちで過ごしました。

再び現実に引き戻される夜


しかし、その夜、父は全く別の姿で帰ってきました。

デイサービスでお風呂に入ってきたはずの父が、突然「お風呂に入らなくちゃ」と言って、裸で家の中を歩き回り始めたのです。

「お父さん、さっきお風呂に入ったからもう大丈夫だよ」と言っても、父は「そうだっけか?」と戸惑った様子で答え、そのまま裸で夜ご飯を食べようとしていました。

昼間のあの幸せな時間が、まるで嘘のように感じられる瞬間でした。

認知症と向き合う日々


認知症という病気は、こうした波のような浮き沈みが特徴です。
時折、まるで波が引くように、以前の父が戻ってくることがあります。
しかし、その波はすぐにまた押し寄せ、父を遠くへ連れ去ってしまいます。

僕は、そんな父を見ていると、どうしようもない感情に押しつぶされそうになることがあります。

「戻ってきてほしい」
何度もそう願いながらも、それが叶わない現実を突きつけられます。

それでも、僕はあの散歩の時間を、心の中で大切にしています。
いつか、またあの時のように父と会話ができる日が来るかもしれない。

そんな小さな希望を抱きながら、僕は今日も父と向き合っています。

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