文化人物録41(川本嘉子)
川本嘉子(ヴィオラ奏者、2018年)
→もともとはヴァイオリンを長年やってきたが、1991年、東京都交響楽団入団時にヴィオラに転向。92年、ジュネーブ国際コンクールで最高位の2位となり、国内屈指のヴィオラ奏者として知られるようになった。小澤征爾さんにも重宝され、水戸室内管弦楽団やセイジオザワ松本フェスティバルなど小澤さん関係の公演では常連となっている。音楽家としての技術や表現力はもちろんだが、人としての振る舞いや性格もたいへん素晴らしい。国籍や性別、楽器、考え方が異なる多様な音楽家と音楽を奏でることが何よりも大きな強みだろう。
・もともとはヴァイオリンをやっていたので、ヴィオラに転向するときは両親もとてもガッカリしていました。ヴィオラという楽器の存在そのものが分からなかったのだと思います。でも私としてはホッとする音域で落ち着く音のヴィオラに魅力を感じていました。そのきっかけになったのがバーンスタイン最後の出演となったタングルウッド音楽祭でした。私はバーンスタインの指揮する公演に出てたまたまその後会場に残ったのですが、そのときにあるボストン交響楽団のヴィオラ奏者の出す音色に感動しました。これが転向した最も大きな理由、ヴィオラの原点です。
・ヴィオラは目立たない印象が強いですが、私が学生だった最後の頃くらいからソリストが出てくるようになりました。それまでだとヴィオラの先生といえばオーケストラの中にしかいなかったのですが、タイミングが良かったのだと思います。日本人ですと今井信子さんなどの直接指導が受けられたのは大きかったと思います。
・しばらくは都響で弾いていたのですが、都響の場合は定期公演が終わると次の公演のリハが入り、さらに自分のリサイタルが入ってしまう状況でした。エネルギーをかなり消費する、疲労困憊な毎日が10年ほど続きました。休みの日もサイトウキネンオーケストラに参加するなどしていたので、とにかく寝たいという思いが強かったです。オケは面白い半面、神経がピリピリしていたと思います。
・ヴィオラの場合、ベートーヴェンの作品でも、しばらくは音にどんな意味があるのかわからなかったです。というのも、指揮者もメロディを弾くヴァイオリンなどにはきちんと指示をするのですが、ヴィオラをどうするかを考えていない人が多いからです。私は周りの息遣いや動作に合わせて引いていました。最近はヴィオラの内声としての意味が考えられるようになり、指揮者も上手く操作してくれる人が多いです。またオケのヴィオラ奏者も個性が多様化したように思います。今ですと東京フィル首席の須田祥子さんなどは、大きな存在感がありますね。
・ヴィオラ奏者はヴィルトゥオーゾというよりは音色のよさが求められます。私は前に出るのが苦手なので、ヴィオラの転向によって前に押し出されるのを回避できました。両親は始め理解を示しませんでしたが、ここまでくると転向してここまでやってきたことがえらいという風に変わってきました。わたしとしては楽しみながらやってきました。ヴィオラは人気のない楽器ですが、軌道に乗ればあちこちの団体から声がかかるようになります。
・私としては、本当の意味でヴィオラの魅力を広めたいです。ヴィオラは生の音とCDで聴く音が全く違う。まずそこ(ヴィオラの音を聴いてもらう)まで来てもらうのがまず大変ですが、疲れているような人が聞くとホッとする音色だと思います。だからヴィオラ奏者もほのぼのとしています。皆さん人を立て合うんです。楽器と同様に支えるのが好きな人が多いと思います。人の支えをやりつつ、たまには一人で舞台に上がっていくことも必要だと思います。深いけど明るい音を目指していきたいです。