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プロローグ

保育園の時は大人しいくらいだった。

ウチの娘は少し変わった雰囲気を持っている子だ。
保育園の頃から、落ち着いていて正直手のかからない子だった。

他のお母さん方は
「もう言うこと聞かなくて大変!」
「あれ買ってこれ買ってってうるさいよね」
「ご飯食べに行っても、騒がしいから周りに迷惑かけちゃって」
そんな話を聞いていた。

でも、うちの子はそんな様子も無く。
買い物に行っても、静かに後をついてくるし
『今日は買えないよ』って説明すると
納得してくれていた。
外食しても、ただ黙々と食べて一人で遊んでいる子だった。

小学校に行っても、それは変わらないだろうなって思っていたんだけど。

学校が始まって何かがズレてきた。

小学校に入学して、ひと月経った頃。
「お腹が痛い」
と学校を休みたいと言ってきた。

まあ、仕方ないか。
そう思ってその日は休ませた。
でも、それが一週間続いた。
流石に入学したてで、マズイと思った。

「学校行かないと、早く準備して」
「・・・いきたくない」
「お腹痛いって言ってるけど、お昼には元気じゃない」
「いまは、いたいの」

実は、娘の様子に見覚えがあった。
それは、小さい時の自分の姿。
同じようにお腹が痛いと言って休んでいた事があった。
その時、自分は学校の勉強について行けなくなっていて
周りに馬鹿にされていて苦しかった記憶が蘇る。
イジメなのか?こんな小さいうちから?
そうグルグル考えながら、言葉を選んで口を開いた。

「ねえ、なんか学校で嫌なことでもある?」

私の言葉に、しばらくダンマリを続けていた娘だが

「先生が、ほいくえんからの子は、ダメだねって。なんかいも言うの」

信用できない教師だった

その娘の言うことを完全に信じた訳ではないのだけど
それに近い事があったのかも知れないなって思い
その日は休ませて、こっそり学校の授業を聞きに行った。
勿論、教頭先生と一緒に。
入学してからひと月で、先生的な振り分けがあったのだろう。

保育園卒業組は、後ろの席に集められ
優秀な子だけが前の席に集まっている席順になっていた。

そして、先生は保育園卒業組には
プリントを渡して放置。
優秀な子達だけが、キチンと授業を受けている状況だった。

そして極め付けが
「保育園で何にも習ってこなかったんでちゅねぇ。こんなのもわからないでちゅかああ?もう一回保育園に戻った方がいいかもでちゅねえ」

これが、教師の発言なのか。

隣で聞いていた教頭が、慌てて教室に入って
担任の教師を呼び出してきた。
冷ややかに見ている私の横で

「嫌ですよ、冗談ですよぉ。本気で言ってる訳ないじゃないですか」

そう笑いながら話す教師に、激昂している教頭。

ひとまず、この教師どもではなく
私が第一に考えるのは 娘のことだなって
その時ものすごく冷静になれた。

「あの、取り込み中申し訳ないのですが。しばらくウチの娘は欠席
扱いにしてください。今後どうするかは教育委員会に言って決めますんで」

最初の不登校が始まった。

それから10月に隣町に転校できるまで
家で自主学習をさせ、人間不信を治すのに時間がかかった。
いろんな所に連れて行ったり、専門の塾に行ったり。

担任の教師と教頭・校長は何回も謝罪に来ていたが
娘自体が許そうとしないため、完璧信頼関係は無くなってしまった。
市の教育相談室に連れて行っても、何も解決しないので
思い切って転校することを決意。
新しい環境で、この問題を打開できるかもと思ったからだ。

転校先は天国のような学校だった。

転校先の小学校は、比較的新しい学校だったこともあって
柔軟な考え方をしている学校だった。
だから、すっかり人間不信になってしまっていた娘も
すぐにクラスや学校の方針に慣れ、楽しそうに学校に通っていた。
その後、不登校にもならずに小学校を通いきってくれた。

でも、いつまでも小学校に通うわけにいかない。
中学校へ進学の時期が来て、中学校は地元に戻ろうかなとも考えた。
しかし、小学校の時同様で差別的考えが多いと
評価を聞いてしまい、通っていた小学校の近隣中学に
進学する事を決めた。

今考えれば、これが大きな過ちだったのだと思う。

コロナで計画は大きく狂っていく。

その年は2020年。
そう、日本はコロナ禍真っ只中だった。
小学校は2月時点で、休校になり卒業式も無くなった。
中学校の入学式は、校庭に集められて教科書渡されて終わり。
後は、オンライン授業でやっていくというが
初めて学習する教科も多いのに、難しくないか?
本当に学校の学習について行ける様になるのか?

私は、不安を感じていた。

その不安は的中。
市立中学校の行うオンライン授業なんて、たかが知れていて
ただ一方的に流れる映像を見るだけの物。

他の子は学習塾とか通っているから
そんなお粗末な授業でもなんとか理解できるのだろう。

しかし。
ウチのような母子家庭で年収200万円も満たない貧困家庭に
学習塾に通わせる余裕なんてなかった。

経済的に貧困なせいで、娘は中学校の学習について聞く事ができず
結果、二回目の不登校になってしまった。

なんとか保健室登校でもと、声をかけたが
本人は頑なに登校しなくなってしまった。

県立の普通科高校に入学してもらいたいと思った
親の期待は、中学一年の冬に見事に崩れ去った。
それから中学を卒業するまで一回も学校に通うことは無くなった。

でも、今は一応、高校生になる事ができた。

ここからウチの娘がどう社会に復帰していくのかを考えた結果
学校は私立しかないし、お金がかかる事を覚悟しなくちゃいけない。

今思い返せば、あの時はどん底だったけど
この選択で良かったのかなって思っている。
オンラインだし、普通の高校・・・って言ったら
『違くない?』って言われるかもだけど
高校生にはなる事ができたので。

そんな現在不登校のお子さんを抱えている皆さんに
少しでも答えになるといいなと思って
これから中学校三年間の不登校生活を振り返っていきます。


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