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追い立てられる、流されたい

多分大学3年生の春ってあまり暇じゃないんだろう。
でも最近はすこぶる暇だ。暇だということも許されないこの時期に、暇だなあと1人で思っている。

月曜日は時々朝から授業があって、火曜は全休。9時か10時に起きて、水木金土と大体3限で帰れる。素晴らしい日々だ。
バイトは時々する、課題も少々。まさにモラトリアムを代表する日々を送っている。インターネットくねくねを四六時中。人生でこれが最後だろうなあというぐうたらを、ここ数年繰り返している。いつまで続くんだろう、終わらない気さえする。

でもいつかは私も労働に追い立てられて、社会を構成する人にならなくてはいけない。泥色の日々が待っている。就活をする気があまりない、ということは友人の中では言ってはいけないので、誰も誘えない。誘いづらい。恋もしていない。誰か精神的に繋がる人が欲しいと言えば欲しいけど、それは私の場合依存になってしまうので怖い。

とにかくようやく訪れたささやかな日々を手放したくないから、自分を何かに追い立てないことにしている。でも頭の中にずっと、満たされない欲望や課題が居場所を主張している。


なんで数年、ふわっと生きることが許されないんだろうか。みんな就活をすることで、労働に追いやられていく気持ちを共有することで、負の連帯感を味わっている。
私はそこに加われない。

そのことが強烈に疎外感を感じさせる。

一つ学年が下がったことで、大3の春を何だか永遠にループするような気がするからだ。いずれは私も労働に従事するけど、みんなで手を取り合って飛び込まずに、私1人でタイミングをみたいんだ。

就活をしない連中への世間や友人の目は、風当たりが強い。みんなどこかで金があるもんなとか、いいご身分とか、腹の底で思ってると思う。本当に私でも思う、なんていいご身分なんだと。実際そうなのだから何も言えないけど、初めて社会のレールから外れている実感があった。私も苦しまないといけないんだ、という気持ちがどうしても浮かんじゃうんだ。


最近、すごくお腹が空く。
細胞がむくむくと変化しているように、何を食べても食べても満たされなくて、体積比的にはアボカドとアボカドの種くらいだ。
ジムにも通い始めた。やりすぎると筋肉痛で次の日辛くなる。明らかに引き締まってきてるのに、別に食べ物の制限はしてないどころか食べすぎてるから、体重計でこれは嘘笑という数値を叩き出してしまった。でもよくあることらしい、筋トレの初期では見た目は痩せても体重は増える。

とにかく何かに追い立てられたくない、時々浜辺に来るでかい波のようにじわじわと労働に生活を追いやられたくないんだよ。

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