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テトタビ


スクーターを走らせ空港へ向かう。

空港の隣にある約5、6階建ての立体駐車場は
見渡す限り、バイクがびっしり同じ方向を向いて詰められている

帰りは自分のバイクをどうやって探すのか、抜け出すために何分かかるかな、なんて不安になってしまうほど
人がギリギリに通れるか通れないかほどの通路だけ空いた 暗い駐車場の中には
通常はいない、何人もの警備員がいて順番に導かれ 駐車完了。
警備員でも出動させないと 好き放題やりかねない

バイクを止め終え、
帰りは絶対に同じ場所にないだろうと半分諦めモードではありながら
念のため 探し出すためのあらゆる写真をしっかり携帯電話に収めた

予期せぬことが次から次へと起こる異国での生活では危機管理能力が必要

こんかいの旅はどんな予想外トラブルに見舞われるだろう
そんな気持ちで国内線出発ターミナルへ

さすがテト休暇

国内旅行を選んだ私、選択ミス。
チェックインカウンターに並ぶ長い列、人の多さを目の当たりにして
もう絶対に国の祝日に国内旅行はやめよう、と心に誓うことになる

そう、ここベトナムでは日本のように祝日が各月に散らばってたくさんあるわけではなく、主に旧正月にまとまった連休がある。一般的には10日間、わたしのような教育機関は2週間はある。

旧正月以外に連休と言って思い浮かぶのは
4月末の南部統一記念日を含む連休と
9月の独立(建国)記念日を含む連休のみである

テトには、地方の実家で家族親戚と過ごすことを大切に考えられているため
ホーチミン市内から人は消え 通常の活気はなくなり
全ての店とスーパーまでもが休業
街はコロナのロックダウンを思い出させるかのような静けさに。

飛行機やバスなどの公共交通機関の値段は3倍にも4倍にも高くなり
自らバイクを1日中でも走らせ地方に戻る人も少なくない。

話しはもどって、わたしの乗った飛行機が到着したのは
Phu Cat airport ベトナムのBinh Dinhという中部地方の街。

今回は友人の出身であるBinh Dinhを案内してくれるということで
何の予定を聞かされることもなかったが(いつも通り)
自分では絶対いけないような土地を見るチャンスだと思って行きの分の飛行機だけ予約して、訪れてみた

向かった街はPhu My という田舎町

南部ではほとんど見ることがない山を多く見ることができる、海に面した街
ちょうどこの時期は田植えを終えた頃で
田んぼの緑と赤土の道、青い空とのコントラストが美しい時期であった

まず着いてバイクを走らせ思った一言が、とにかく寒い。
年中30℃超のホーチミンのいつもの感覚でTシャツ1枚で来てしまった。

しまった、わたしとしたことが。 
持っていたのは日焼け防止の羽織りパーカー1着、
結局これを日焼け防止ではなく寒さ対策として
中部旅行の間毎日着ることになってしまった。

さぁ、何をしよう

外国人はおそらく私のみ。外国人が喜ぶような店もなければ
とくに出かける場所もない。
もちろん英語もまだ通用しない。

昼ご飯でも晩ご飯の時間でもなかったが、
友人の母が手料理を準備してくれているということだったので
完成まで取り掛かってくれている間、寒さに耐えながらバイクを走らせてみることにした。

運転手は友人、わたしは後ろに座る。
いろんな人が話しかけて来ると思ったら
田んぼで作業中のおじさんおばさんたちは
たいてい皆、家族のような感覚だ。

みなさんに挨拶をしながら
街をぐるぐる

小さな1階建ての各家庭の庭は広く
庭の見事なヤシの木にはココナッツがたっぷり実り
家庭菜園と家畜の牛、豚、鶏と一緒に暮らしている様子がうかがえる


1階建ての小さな家に扉はない。
外のような中にようなお家、そのすぐとなりに
折り畳み式円卓を広げ、食器を並べる。
太陽と風を浴びながら、ホーチミン市内から帰ってきている友人兄弟、その家族みんなで着席し、食事がスタートした。

友人母の手料理はどれも手が込んでいて日本人にとってもおいしい。
食は日本とずいぶん違うがどれもビールに合う最高のあて、という感じで
香りの強い香草と濃い味付けの調味料が多く使われている。


食事中、友人兄に聞いてみた。
ここあなたの田舎とホーチミン市とどちらが好きですか。

兄は両親を目の前にしてでも「お金がある方がすきだ」と答えた。

そう、ベトナムの地方の仕事は主に農業である。
育てた家畜と野菜を食べて生活するか、家畜を売ってお金にするか。
それ以外は近所の仲間たちと分け合って生活する。

家族を手伝わざるを得ない以外の、ほとんどの地方出身の若者は
仕事を求めてホーチミンに行く。地方には仕事がないのだ。

中部地方でも、ほとんどが大学か卒業後に北部ではなくホーチミンへ向かって南下するらしい。
仕事を得て、給料を得れば家族を助けることにつながる。
かといってホーチミン市の高い家賃を払うことは決して簡単なことではなく、ひとり暮らしをしている若者はほとんどいない現状がある。

友人兄はホーチミンで独立し安定した収入を得て生活できていることを誇りに思っているのだろう。ベトナムで何人もの若者に同じ質問をしてみたが、田舎に住みたいと答えた人はひとりもいない。まずはお金を稼いで、将来、年をとったら田舎へ帰るのがいい、と答える人が何人かいたくらいだった。


食事中、友人父は何回も小さいポケベルのようなものを使って電話していた。
親戚中の人が次々と訪れ、いっしょに乾杯する。
一組帰れば新しい一組がやってくる。その繰り返しだ。
近所の人が家の前を通れば、すぐさま大声で呼び止め、どうぞ食べて行ってと誘う。家の外で食卓を広げたのはそのためだったのだろうか。

ご近所みんな知り合い、みんなで助け合う、そんな田舎暮らしは
ホーチミンにはないものがあるような気がする。


そして、わざわざ混雑してるテト休暇中にここへきた意味はあった。

約13年間、1人暮らしを続けているわたしにとって
異国の地で大家族の一員となって家庭料理を食べられることは
最近、いちばんと言っても過言ではないほどうれしい瞬間になりつつある

もちろん友人の両親や親戚・近所の方たちは何を言っているのか分からないが
わたしに対する視線や話す雰囲気で、だいたいの言っていることや気持ちは伝わるものである。
言葉は気持ちを表すいちばん簡単な手段だが、
こんな機会を作っていただいてありがとうの私の気持ちは、自然と最高の笑顔と変わり、友人両親に伝わっているだろう。


すっかり日が落ち、辺りは真っ暗、より冷え込んできたところで
家族に別れを告げ、
わたしはCheというデザートの店に寄ってからホテルへと向かった。

街でいちばんいいホテルを予約してあるよ
と聞いていたが、あぁ、この田舎町の中のいちばん、なるほど。といった感じ。テトシーズンだというのに薄暗く、誰もいない。
受け付けの人を探し、部屋を案内してもらい、友人と別れた。
虫が多く、おそらく排水溝のにおいがする。お湯はでなかった。
薄着だったのでとくに熱いお湯でシャワーしたかったが、
こんなことはもう慣れっこ。
今日はさむいシャワーで我慢した。


そういえばここに来るちょうど前日、
ベトナムに住むアメリカ人と話していた時に言われた言葉を思い出した。
その方が言っていたのはだいたいこんなことだったと思う。

最近日本をライブ中継しながら旅をする人を見た
日本の技術は素晴らしい
全てがオートマチックで動く
そこには“効率”というもにに対する日本人の強い意識を感じる
ベトナムでは駐車場を出入口のポールですら、人が手動でうごかしている

全てが正確に自動で動き、同時に全てにルールがある
外での生活で他人と全く話さない。というか言葉を発する必要がない

他人とにコミュニケーショをとることがなくなれば
日常で人と人が自然と出逢い、親しくなるきっかけはない
日本人の結婚率がどうして低下しているのか、少子化が進み続けているのか
日本が好きで見つけたそのライブビデオから
日本が抱える問題が見えてきた。

そんな話を聞いた翌日だった。

家の前を通る語近所さんを見ればすぐに叫び呼び止め
知らない人であってもみんなで食卓を囲む、酒を交わす

これでもう、友達。

都会に住んでいたときはともかく、
わたしもこことそっくり同じような山と海と田んぼに囲まれた街の出身だけれど、
今の実家の隣の家のお名前や、
どんな人が住んでいるかなんて全く知らない。
他人ではなく親戚ですら、もう大勢で集まる機会は少なくなった。

今日一日だけで何人の知らない人と楽しく会話しただろう。

そんなことを考えながら眠った、テト旅 1日目の夜だった。




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