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小さな陽だまり


何でも器用にこなせてしまう彼は、努力を人に見せることを嫌う。本当の自分も誰にも見せられないと言う。ごく少数の親しくしている仲間といる時も、どこか自分を偽って接していると。偽ると言うと少し語弊があるけれど、感情を隠すと言えばわかりやすいかもしれない。

わたしとメールしている時の彼は、いくらかそのガードが緩くはなるみたいだけれど、日常で顔を合わせる相手である限りどこか演技をしてしまうのだと言う。でもそれは誰にだって少しはあるんじゃないの?と返す。自分を省みても、都合の悪いことはあえて言わなかったり、状況によっては率直な意見を言えずに口をつぐんでしまうことはよくある。

そう言うのとは違うと彼は言う。周りの状況とか環境にかかわらず、どんな場面においても本当の自分を開示することはないからと。では、わたしとメールで交わすあれらの言葉たちも真実ではないと言うのか。よくわからない。

嘘ではないよ、少なくともその時に自動筆記に近い形で出てくるものだから、ないものではないよ。そう彼は言うけれど、やっぱりわからない。少なくとも文章に起こされた言葉は信じていいのだと思うことにした。


最近は今付き合っている大学生の彼女についてよく話をする。これはリアルの会話だ。彼女とは離れたいけれど向こうが離れてくれないと言う。わたしはそんな言葉を信じない。離れたいと思ったら自分が離れればいい。気持ちがないのに一緒にいることを相手への思いやりだと思っているのだろうか。いくらか潔癖なところがあるわたしは、そういう状況にざわざわしてしまう。

続けて彼は、彼女といる時の自分は今ここにいる自分とはまるっきり別人だとも言う。それならばと、「普段その人と話すようにわたしに話してみて」と試すように言ってしまう。彼は即座に「それはできない」と返す。
「その人といたら取り繕わないありのままを出せるんでしょう?だったら、その人が本当の自分でいられる理想の人なんじゃないの」
そんな極論を投げかけてしまうのは、きっとわたしが意地悪だからなんだろう。

とは言っても、すべてをさらけ出してくれた先にあるもの、それがわたしを満たすとは限らない。家族のような関係に憧れていても、特別に優しくされたいと思ってしまう。それは、わたしが彼に対しては無条件に優しくしてしまうから、それと同等のものを求めてしまうからだろう。けれどよくよく考えてみると彼は元々優しい性格なので、それに感化されてこちらも優しくなってしまうとも言える。何にせよ、彼にとっての特別な存在になりたかった。

そんなわたしが、彼女の話になるとどうしても意地の悪いことを言ってしまう。彼は気づいているのかどうかわからないけれど、嫌味とも取れるそれを額面通りに受け取らない。いつもと変わらない涼しい顔で受け流す。
そう言えば彼が怒っているのを見たことがない。と言うか、感情を誰かにぶつけている姿も。何に対しても流れに身を任せるようにしてすべて受け入れる。

きっと小さな不満をいくつも抱えながら彼女とはこの先も続いて行くのだろう。果たして彼は彼女には感情を露わにしているのだろうか?と気になってしまうけれど、それは知らずにいた方がいいのかもしれない。


そんなことより彼とわたしはどうなのか。二人の関係性を人に言うのは難しい。友人でも部活の仲間でもない。クラスメイトでさえない。変な表現だけど自分を語る文章を交換する相手と言えばいいのか。ここでの自分とは何かという問題もあるけれど、深く考えると深い穴に落ちてしまいそうになるので、綴られる言葉は詩のようなものだと思うことにしている。

そんなふうだからわたしたちは、休み時間に廊下や階段でたまに出くわすことはあっても特に話すこともなく、ぎこちなく視線を外しすれ違った。そういう時の彼は一人でいることが多かったけれど、孤立しているのではなくあえて一人で行動していると言ったらいいのか、そんな雰囲気があった。
クラスは別だったから、現実に彼が教室で友人たちとどんなふうに過ごしているかはよく知らなかった。

図書室で会う時の彼が好きだった。そこでの彼は快活とまではいかないけれど、きつく締められていた何かがほどけたようなやわらかな表情をしていた。そんな時わたしは小さな陽だまりを見つけたようにほっとしたものだった。

そして、この場所が彼を解放しているのだと思うと、ちょっと複雑な気持ちになることも確かだった。司書の先生に軽く嫉妬している自分がいた。先生は人を緊張させない。いつだってあたたかく包み込んでくれるような笑顔で迎えてくれた。
近い将来彼がこの人の前では演技しなくなる日がやって来るんじゃないかと思うと、訳のわからない焦燥感に襲われた。

今もこれからも彼は演技をすることをやめないだろう。演技をしてしまうことこそが変えられない彼の本質だとしても、いつかありのままの彼を、小さな陽だまりの奥にあるものを見てみたいと思うのだった。そこに触れてみたいと思うのだった。




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