andydog2003

深緑の彼方。詩のような短いお話。記憶から想起された物語。エッセイ。

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深緑の彼方。詩のような短いお話。記憶から想起された物語。エッセイ。

マガジン

  • 連作掌編その2

    心の友である図書室の彼についてのお話です。

  • 連作掌編その1

    喫茶店の厨房でアルバイトしていた頃のお話です。

最近の記事

心が重なり合うこと

話したいことや聞きたいことがあって会う。 人と接する場面でわたしが自然でいられるのはそういう時だ。 それが可能な人と思いがけなく会えると、心が湧き立つ。 こちらを受入れてくれる寛容さを知っているからこそ、飛び跳ねるように言葉や笑みが出る。そんな瞬間が好きだ。 話し足りなくて、またゆっくりお茶でも行きましょうと言い合って別れる。 そして何かの機会が訪れてそんな時間が持てること。 それだけで生きていて気持ちいいと感じられる。 そこまで行かない関係性でも、また次に偶然出会ったら前回

    • 一人に戻る時

      どこまで深く自分を開示していいのかわからない時がある。 二人きり、もしくは少人数でいる時の、誰も話し始めない時間がしばらくあると、いや話し始めないまでも、挨拶のような当たり障りのないやりとりが続くと、ここで少し込み入ったことを話さないとならないかなと、変なはやる気持ちが芽生えてくる。 誰も求めていないのに。 退屈で散漫な相手の出方を探るような会話が延々と続くのが苦しいのだ。 日常の会話なんて特に意味などなくていいし、誰かの出す話題にすっと器用に乗ることができれば、余計なこと

      • つながらない電話

        わたしはどこに電話をかけようとしているのか。 指が滑って押したい数字が押さえられず、気が焦るばかりで何を伝えたいのかもわからぬまま消耗していた。 やがて諦めたのか、場面は自宅に変わっていた。 けれどそこは現在のわたしの住まいではなかった。 間取りから推察すると、ここは実家だなと気づいた。 時は夜で、向かって左から父、母、兄の順で頭をこちら側にして川の字に布団を敷いて寝ていた。 わたしは母に会いたくて、母の顔が見たくて、横たわっている母に駆け寄った。 けれどもぱっと目を

        • 夢の中でわたしは

          夢の中に出て来た彼女はかつての彼女ではなかった。 いつだって自信なさげで遠慮がちで、 悲しげにも見える不思議な表情で微笑んでいた、 あの頃の彼女ではなかった。 「私はもうあの場所にはいないんだよ」 そんな言葉が聞こえそうだった。 よく知っていたはずの懐かしい彼女に、 わたしは尻込みして、足がすくんで近づくことができなかった。 凛とした表情で真っ直ぐ立っている、ただそれだけなのに。 冷たい膜が張られたようで、かける言葉もはね返されそうで、 怖くて何も言えなかった。 夢の中に

        マガジン

        • 連作掌編その2
          4本
        • 連作掌編その1
          6本

        記事

          夜の向こうの光

          どんな光が好きかと問われて、 ひたひたと静かに差してくる赤い光が好きだと答えた。 安堵のような、諦めのような気持ちを運んでくれる、 あのなんとも言えなく冷ややかな赤い光。 そのBBSには、毎夜のように顔も知らない誰かの寂しいような狂おしいような、 メランコリックな言葉が淡々と刻まれ続けていた。 不意に目頭が熱くなったり、胸が早鐘を打ったりしたのは、 気づかぬうちに誰かの言葉に自身を重ね合わせていたからだろうか。 「赤い光って、わたし、見たことあります。 明け方の東の空

          夜の向こうの光

          約束の行方

          約束は守られた。 長年生業としていた薬屋を畳んで、新たな勤め先としてスーパーに併設された薬品コーナーで働くことになったとその人から聞いてから、ずいぶんと月日が流れていた。 かつて彼が経営していた店の電話はとうに不通になっており、それ以外の連絡先を知らなかった私は気になりつつも向こうからの連絡を待つしかなかった。 その人は以前私が会社勤めをしていた頃の得意先で、営業補助業務の電話で話すうちに親しくなった。私の仕事は内勤だったが、休日に視察と称して店の方に何度か足を運んだ。お

          約束の行方

          正しい弱さ

          受け止めてもらえないとわかっていても、問われれば正直な気持ちを伝えたいと思ってしまう。 経験的にこの人はそうそう他人に同調しないとわかっているから、期待していた答えを得られないとしてもそんなに傷つかない。 確固たる自分がありすぎるから自分で体得した真理を振りかざすのだと思う。 さらにその強さでもってこちらを同じ色に染めようとする。 だから私は精一杯自分の砦を守りながら、この人の色をほんの少しだけ混ぜる道を選ぶしかない。 私自身の色が限りなく白に近ければ、どんな色に浸

          正しい弱さ

          強さと可能性

          「何かの縁があってそういう関係になったんだから、その可能性にかけてみたら」 気づくとそう口にしていた。 数年ぶりに会った彼女は思ったほどには変わっていなかった。 「たいていの人は、そんな人ダメって反対するから、今言ってくれたことは初めての言葉だよ」と涙ぐみながら彼女は言ったけど、わたしはどうしようもない気持ちをよく知っているだけなのかもしれないと思った。 正論を投げかけて忠告することはむしろたやすい。 この彼女は自分の心で感じ取ったものしか受け入れられないと知っているか

          強さと可能性

          際立ってくるもの

          本の断捨離が一段落した。 ずっと持ち続けていた当時傾倒していた女性作家の本をすべて手放した。 反動的という言葉を彼女の小説を読んで初めて知った。 世の中の流れに逆行するような生き方という意味で使われていたように思う。 少し昔の多様な生き方をする人たちの、気ままなようで淡々とは行かない日常が、息の長い文章で描かれていた。 時代時代によって違った不自由さはあって理解がおぼつかないこともあるけど、繰り返し丁寧に読めば得るものは必ずあると思って読んでいた。 名作とか古典とか世界

          際立ってくるもの

          ほどけない結び目

          ここではないどこかへは行けないことにいつ気づいたのか。 あの人のようになりたいと思った日は遥か遠く、今の自分でさえ持て余しているのに、他の誰かになれるはずもなくて。 明るく陽気に見える人の心が健やかであるとは限らない。 悩みを見せないように、周りを気遣って抑制した心を笑顔で隠して、 その場をうまくやり過ごす。 天真爛漫な人かと思った。 いろいろ抱えて来ている人には見えなかった。 場を見て取り繕うのがうまくなると、思いがけないことを言われてはっとする。 わたしはどこに行

          ほどけない結び目

          小休止

          突然やってきたマイブームも1ヶ月もしたら落ち着く。 収納ケースから取り出したCD数枚をまた戻す。 しばらくは聞くことはないだろう。 昔よく聴いていた音楽をまた再び聴きたいと思うのは、自分がどんな人間だったか、どんなふうに生きてきたかを思い出したくなるからだろう。 今が平和だと言うことだ。 あの頃も決して切羽詰まっていたわけではないだろうけど、日々をなんとかごまかしながら生きていて、いつか直面するはずの問題を先送りしていた。 今もそれは変わらないけれど、起きてしまったらその時

          永遠の緑

          秋。授業を終えた帰り道。 校門からバス停まで続く歩道。 徐々に降り積もって行く銀杏の黄色い落葉をざくざくと踏みしめ歩いた。 沈黙の中に二人でいた。 息づかいが聞こえそうなくらいに近くにいても遠く感じていた。 ただ一定のリズムで刻まれる足音だけが高くなった空に響いていた。 つまらないことを言うくらいならずっと黙っていたかった。 好きの気持ちが伝わらないことに悩んでいた時もあったけど、もうこのまま片思いでいいと思っていた。 やがて木枯らしが吹く季節になり、 冷たくなった手で落

          予感は続く

          大学から市の中心部に向かうバスの中はおそろしくすいていた。ほぼ初対面の間柄の初々しい気づまりさからか、先生とわたしは最後尾の長い座席にいくらか距離をあけて並んで座っていた。 何に対する照れなのかよくわからなかったけれど、その時のわたしは先生の顔をまともに見ることができなかった。ちらちらと探るように彼の方をうかがい見て、何かの拍子に視線がぶつかりそうになったら、ごく自然なしぐさで目をそらした。 「ここに来る前は市役所にいらしたのですか?」 バスのエンジン音にかき消されそう

          予感は続く

          もの言いたげな沈黙

          先生とわたしはちょうど一回り歳が離れていた。そのことがわかったのは二人が出会ってからしばらく経った頃で、それまではもっとずっと歳の近い人だと思い込んでいた。 実際に彼は若く見えた。初めて言葉を交わしたあの日、彼がわたしを見る眼差しに不思議な親しみを覚えて、あの時のわたしは「ああ、ここからわたしたちは始まるのだな」と思った。 そんな懐かしさを感じる眼差しとは裏腹に、先生はビジネスライクに形式ばった初対面の挨拶をして「じゃあ、これからお世話になります」と言った。わたしは努めて

          もの言いたげな沈黙

          遠ざかる喧騒

          その昔、矛盾だらけの辻褄の合わない文章を書く人がいて、その人の作り出す独特の言葉の世界にうっとりとなっていた時期があった。溺れるようにどっぷりと浸かっていた。夢の中にいるような感じと言えばいいのか。それが詩というものなのだろうけど、技法がどうだとか関係なくただどうしようもなく惹かれた。 意図せずメランコリーやセンチメンタルを引き寄せてしまって苦しんだこともあった。 今もいくらかそういう類いのどことなく神秘的で不思議な文章に出会うと、くいっと引き込まれてしまうけれど、平易で

          遠ざかる喧騒

          浮遊する心

          先生とわたしのことを少し書こうと思う。彼は経済学部の講師。その時わたしは26歳で、数ヶ月前にそれまで勤めていた会社をある理由でいられなくなって辞めて、春先から郊外にある私立大学で働いていた。 先生の講義を受けたことはなかったので、彼が何を研究しているのか詳しくは知らなかった。特に知らなくて良かった。彼とする話には学問的な色彩は一切なかったからだ。 それでは何を話すのか。気づいたらわたしは自分のことをぺらぺら話している。包むところは包んで、その時々の話したいことを流れるよう

          浮遊する心