星を見る日々
図書委員の彼からのメールは毎回長文で、わたしの返信に答えるでもなく、自らの日々の断片を知らせてくる。群れるのが好きではないクールな彼は、休み時間は教室を離れて図書室に向かうと言う。友達がいないわけではない。むしろ家に泊まりに来るくらいの仲の友達が数人いるらしい。本当のところはクールなのではなく偽クールなのだそうだ。学校では仮面をつけて本当の自分を守っていると言う。
そんな彼が別のクラスの目立たない生徒であるわたしとメールするのはなぜか。さっぱりわからない。図書室で時々顔を合わす程度のつながりだったはずが、司書の先生を通じてなんとなく話すようになって、それから何かが変化して。
改めて話すとややこしい。わたしは面と向かっては言葉がすらすらと出てこないけれど、文章でなら思いを綴れる。彼とは思うことが似ていて、そういうところも同じだったので、会話は自然とメールに変わって行った。簡単に言えばそういうことだ。
彼とわたしは付き合ってはいない。ここが重要なところだ。そして、彼にはバイト先で知り合った大学生の彼女がいる。ここもさらに重要なところだ。だから、わたしはいつもちょっと苦しい。
きっと彼は彼女から離れられないと思う。日々の不満を聞かされて、でもその人のことをいいと思っているんでしょ?というわたしの問いかけにノーと答えても、優しい彼は彼女を見捨てたりしない。
じゃあ相手が諦めてくれるのを待ってるの?そんなところかな。でもそれってすごく相手に失礼な話じゃない?なんて愚かなやりとりを繰り返してしまうのも、きっと彼が彼女から離れないことを頭の中でわかっているからだと思う。わがままでトラブルメーカーで困ると言いながら、振り回されることを厭う気色はない。
確かに、それを差し引いて考えても高校生から見たら大学生の彼女は刺激的で、味で言うならスパイシーで病みつきになると言ったところなんだろう。
では、わたしはどんな存在なのか。何度も訪れる疑問に足をつかまれる。たとえるなら夜空の星のようなものかと思う。
普段は会わないけれど心が静まり返った時に少しだけ会いたくなるような。安心のために存在を確認するような。
「さっき一番星を見つけた」とたった一言だけ携帯でメールしてくる時もある。それは「今日は月がきれいだ」と言われたように、わたしの心を照らしたものだった。
お気に入りの本を貸し借りして、長文メールで感想を語り合う。
ああ、そうだった、今度渡そうと思っていた本があった。
吉本ばななの「白河夜船」は、深く沈みがちなわたしの心を引き上げてくれた。なかなか動き出せなくて環境を変えられないわたしだけど、少し違う場所に行ってみようかなと思えた。
ここまで思っていたら、今日もまた彼から日々の小さな心の渦を言葉にしたためたものが送られてくる。わたしは今日もそれに言葉を返すことをやめられない。
夜空の星を見上げて、小さくため息をつく。