見出し画像

一人に戻る時

どこまで深く自分を開示していいのかわからない時がある。
二人きり、もしくは少人数でいる時の、誰も話し始めない時間がしばらくあると、いや話し始めないまでも、挨拶のような当たり障りのないやりとりが続くと、ここで少し込み入ったことを話さないとならないかなと、変なはやる気持ちが芽生えてくる。
誰も求めていないのに。

退屈で散漫な相手の出方を探るような会話が延々と続くのが苦しいのだ。
日常の会話なんて特に意味などなくていいし、誰かの出す話題にすっと器用に乗ることができれば、余計なことに思いを巡らす必要もないのだろう。

話変えていい?なんて傲慢なことは絶対言えない。
そこまでして話したいことがあるわけではない。
その場をさらっと感じよく離れるすべもない。

話題の切れ目にうまく話し始められたとしても、今度はこんな話を聞かせてしまってと申し訳ない気持ちが立ち上がって来る。

会話上手な人は自分のことはほとんど話さなくて、相手の話を次々と引き出すというけれど、自分がそうなれるはずもなくて、いつもいつも誰かが率先して自己開示してくれないかなと思っている。
そうして欲しいから、時に距離感のおかしな自分語りを始めてしまう。
神妙な空気にしたくないのに、相手を困惑させたくないのに、時にそうしてしまうのは話す相手を見定めていないからか。

時々人から離れて一人に戻りたくなるのは、そんな自分に疲れてしまうからだろう。
自分を見失いそうになったら、少し休んでまた出直そう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?