うちに来てくれてありがとう
「その犬は人間ができているといった顔をしていますね。人間性がいいというかなんというか」と、当時犬の散歩で知り合った老紳士に言われ、犬の人間性?と少し引っかかったけれど、なんとも言えない嬉しい気持ちになった。犬も人間同様に持っている性格や気質が顔に表れるのかと。
ずんぐりとした幼児体型にやけに大きなのびやかな顔をしていて、お世辞にも精悍とは言えない。人にも犬にも常にフレンドリーで平和を好み、戦う前に既に降参しているような気弱なタイプだけれど、飼い主としては驚異的にいい性格の犬に育ったと誇らしく思っている。というかそう思わせて欲しい。
そんな気持ちは隠して「ちょっと鈍いんですけどね」と返したけれど、鈍い振りをして実は何でもわかっているのではないかと思う。静かに佇む姿は飼い主同士の会話に参加しているようにも見える。そんな時の穏やかな表情を見ると、まるで笑顔の素みたいで自然と頬が緩んだ。
今思い出しても、神様みたいな犬だったなと思う。10歳から亡くなる14歳までの4年間は特に神々しかった。大型犬の10歳越えは神様からの贈り物だと言われているが、何もしなくてもただ存在そのものが愛おしく感じられた。
亡くなってしばらくは、何を見ても涙が溢れて、その度にすべてのものにありがとうと言葉をかけずにいられなかった。目に映るすべてのものに魂が宿っているように感じられた。
散歩に出ることがなくなって外の風景を見なくなり、仕事から帰って来ても、息づくもののいないしんとした空気に心が打ち沈んだ。部屋の窓から空ばかりを眺める日々が続いた。仕事に行って忙しくしている時間だけが、犬がもういないことを忘れさせてくれた。いつかお別れが来るとわかっていたはずなのに、覚悟していたはずなのに、そばにいてくれた日々を思い出すと涙が流れた。
犬をまた飼おうと思った。先代犬に負けないくらいの優しいわんこを育てて、また散歩に出かけて、そこで出会う人たちと笑顔を共にしたいと思った。
あんな可愛い犬はどこを探してもいないと初めは乗り気ではなかった夫も、最後はわたしが少しでも元気になるならと同意してくれた。
そして今、また違ったタイプのわんこがうちにいる。
久しぶりの子犬の飼育に衰えつつある体力で四苦八苦する日々。忘れていた猛烈としか言いようのない時間。サークルの中でひとり運動会をして暴れ回って足を痛めたり、排泄した固形物をはむはむと美味しそうにほおばったり、トイレを破壊して中のシーツをぐちゃぐちゃにしたり、数え上げればきりがないくらいいろいろやってくれた。いくらか残っていた感傷的な気分もどこかに吹き飛んで行った。
多少のストレスを感じながらも子犬の悪魔期をなんとか持ちこたえ、月日は流れ、その犬がもうじき3歳を迎える。
甘えん坊で敏感で内弁慶で、家の中では事あるごとにワンコラうるさく吠えたてるところはまだまだ修行が必要だけど、人も犬も大好きなところは先代犬と同じだ。いささかテンション高めではあるけれども。中に先代犬の魂が入っているのかもと思う。
きっとそうだ。犬種も性格も違うけれど、魂は同化して一体となり、日々その存在をさりげなく伝えてくれる。だから姿は見られなくても今もずっと一緒だと思っている。
うちに来てくれて本当にありがとう。