つながらない電話

わたしはどこに電話をかけようとしているのか。
指が滑って押したい数字が押さえられず、気が焦るばかりで何を伝えたいのかもわからぬまま消耗していた。

やがて諦めたのか、場面は自宅に変わっていた。
けれどそこは現在のわたしの住まいではなかった。

間取りから推察すると、ここは実家だなと気づいた。

時は夜で、向かって左から父、母、兄の順で頭をこちら側にして川の字に布団を敷いて寝ていた。

わたしは母に会いたくて、母の顔が見たくて、横たわっている母に駆け寄った。
けれどもぱっと目を見開いてこちらを振り向いて見ている人の顔に全く覚えがなかった。

驚いて父の方を見ると、いやにつるつるとした浅黒い肌の若い男性が布団から軽やかに這い出て、朝の支度に向かおうとしていた。
父とはまるで似ても似つかぬ人なのに、何故か父と認識している自分がいた。

「あんちゃん」と最後にやっと声を絞り出して傍にいる兄に助けを求めたところで、やっとここは現在ではなく過去でも未来でもなく夢の中だと気づいた。


母は昨年の夏にすでに亡くなっていて、最後に交わした言葉も半年以上も前の電話で、そこから連絡は途切れていた。
話の途中のような感じで切れてから、その後何の折り返しもなく、気まぐれな母の電話攻撃が一旦鳴りを潜めたと理解していた。

毎日何をしていいのかわからない、なんとか生きてるわと言い、苦しい思いをしているようだった。
あんたは何をしているのと問われて、見たいドラマや動画があったり、家の片付けをしたりで、いろいろすることがあって結構忙しいとうそぶいた。

遠く離れた町に住んでいるわたしには、母の話し相手になることぐらいしかできることはなかった。

母が死んだと言うことは、これでもういつ母が死んでしまうかと気に病む必要がなくなったわけで、悲しみの感情よりも思いがけず心の荷が降りたような不思議な感覚で満たされた。

母が苦しい思いから解放されて永遠の安穏の中に身を横たえたのだと感じた。



告別式の朝、眠ることも食事をとることもままならず、胸の奥の痛みで押しつぶされそうになりながら、父の前で何度目になるかわからない涙の揺り返しに見舞われた。

お母さんはお父さんの横で死ねたんだから幸せだったよ。
そう絞り出すように言ったら、父が泣いていた。

夢から目覚めて気づいたのだが、焦って押し続けていた番号は、結局のところわたしの携帯の番号で、夢の中でわたしはずっと自分に電話をかけようとしていたのだった。


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