情報量!!!! --- 映画「リコリス・ピザ」レビュー ちょっとネタバレあり
しばらく恋愛物の映画も見てないなあと思っていたところ、神々の山嶺の上映前の予告編で気になったこの作品を横浜は新高島のキノシアターにて鑑賞。久しぶりに観るポール・トーマス・アンダーソンはちょっと自信過剰気味な年下の彼と彼に振り回される年上の彼女の物語。
以下、公式サイトのあらすじを引用します。
公式サイトのあらすじを読んでもなにやらわけわからんという感じですね。それも当然、とにかく物語の展開が忙しい。主人公二人の気持ちはあっち行ったりこっち行ったりして観ているこっちは気が抜けません。それに加えて脇に出てくる登場人物までいちいち個性的でいろんな意味で情報量が多い!多すぎる!どうやったらこんな脚本が書けるのか、ポール・トーマス・アンダーソンの頭の中を一度見てみたい。
出てくる人間が揃いも揃って生きることに不器用な感じも相変わらず。みんな不器用なりに必死にもがいていて。みんなやることがいちいち極端なんで共感できるというわけでもない。でもそうやってみんなでもがいていることで回っている世界を眺めていると、なんだか見ているこっちは逆に救われるような気分になるのがこの監督の上手いところ。
70年代のサンフェルナンド・バレーは我々世代にしてみればなんとなくノスタルジックであり、おしゃれでかわいい古き良きアメリカ、という感じはあるんですが、やっぱり舞台をこの時代に持ってきたっていうのは、スマホもケータイもネットも無い時代だってのが大きいのかなと思います。
なんとなくではありますが、いつでもどこでも誰とでも直ぐにつながれるってのは確かに便利ではあるけれど、この映画みたいに人と人との気持ちのすれ違いみたいなドラマを紡ぐには不向きな気がします。
もちろん、やりようによっては既読にならないとか圏外になるとか着信を無視するとかドラマの作り方はいくらでもあるんでしょうけど、つながることが当たり前の時代に生まれてきた人たちは、この作品のように不便な世界をどんなふうに見るんでしょうか。
だってこの作品の時代では会いたくなったら会いに行くしかなくて、一刻も早く会いたければ、走るしかない。心当たりを手あたり次第、会えるまで走る。そのもどかしさがどんなふうに伝わるのかなって。
スマホで繋がれる世界よりも、一言を伝えるために全力で走る世界をポール・トーマス・アンダーソンは愛しているんだと思います。いや、これは単なる僕の思い込みでしかありませんが。
ああ、でも観てよかった。恋愛物と一口で言っていいのかはわからないけれど、すごく心が満たされる映画であることは間違いありません。さあ、また私も明日からまたもがく日々が始まります。あなたもわたしもみんなでもがいてもがいて地球をまわそうじゃありませんか!
すいません、なんかおかしなテンションで…。
以下余談です。ちょっとネタバレになりますが、つい最近見た「さがす」とこの「リコリス・ピザ」で全く同じような場面が出てきて思わず笑ってしまいました。それは、
男子が女子にむかって「おっぱい見せて」と言い、
結局女子の側が折れておっぱいを見せる。
男子がおっぱいを触ろうとする。
女子、断固拒否!
…こんな展開なんですが、なんかもうほとんど同じなんです。まさかおっぱいで片山慎三とポール・トーマス・アンダーソンがつながるとは!
面白いのが「見せるのはOK、触るのはNG!」という女子の線引き。これは洋の東西を問わず女子には一般的な感覚なんでしょうか。だったら若いうちに手当たり次第に頼んでみればよかったかなと、ちょっと思いましたw。
それにしても面白い。映画観てるとこんな偶然もあるんですね。
ちなみに「さがす」の伊東蒼も「リコリス・ピザ」のアラナ・ハイムも我々観客には見せてくれないので、そこは期待せぬようo(><)o。