読書メモ:M・ミッチェル・ワールドロップ『複雑系 生命現象から政治、経済までを統合する知の革命』第5章〜第9章

コンピュータ科学者のジョン・H・ホランドは〈適応〉に関する講演を、サンタフェ研究所で行った。

経済は〈複雑適応系〉の好例である。自然界におけるそのようなシステムとしては、脳、免疫系、エコロジー、細胞、発生中の胚、蟻の巣などがある。人間の世界においてもまた、政党とか科学界といった社会的、文化的システムがある。これらにはどれも共通する特性が見られる。

第一、〈複雑適応系〉のシステムは並行的に作用する多くの〈エージェント〉のネットワークである。どの〈エージェント〉も、他のすべてのエージェントがしていることに絶えず影響を与え、また反応している。そのため同じ環境中にあるものはすべて、本質的に固定されていない。

脳におけるエージェントはニューロン、エコロジーにおけるエージェントは種、細胞のそれは核やミトコンドリアのような細胞内小器官。経済活動であれば、エージェントは個々の人間や家庭。景気循環であれば、エージェントは企業。国際貿易であれば、エージェントは国家……
どのエージェントにも主たるものはなく、〈複雑適応系〉の制御は極度に分散化される傾向がある。一貫した動きは、エージェント間の競合と協力から生まれている。経済活動もまたそのようにして動いている。

第二、〈複雑適応系〉には多くの組織化のレベルがあり、どのレベルのエージェントもそれより高いレベルのエージェントの〈構成要素〉になっている。そして経験を積みながら、その〈構成要素〉を修正し、再結合する。学習、進化、適応というプロセスに依拠しているといえる。
〈複雑適応系〉を理解する上では、いろいろなレベルがどのようにして出現するかを掴んでおかなければならない。ひとつ下のレベルの法則を無視すると、いまのレベルを理解することはできなくなる

一群のタンパク質、脂質、核酸が細胞を形成している。一群の細胞が組織を形成し、組織の集合体が器官を、器官の連関が一個の生物を、生物の集団がエコシステムを形成する。また一方で、個々の労働者の集団が課を形成し、課の集合が部を、そして会社、業界、国内経済、世界経済を形成する。

第三、すべての〈複雑適応系〉は未来を予感している。人間の予見や意識を超越して、単細胞生物を含むすべての生物がさまざまな内なる世界のモデルに基づいて予測を立てている。どのような行動を取ることがうまくいくかということを能動的に実行する。

第四、〈複雑適応系〉は多くの〈ニッチ〉を有している。〈ニッチ〉を満たすために、適応した〈エージェント〉がそれを利用する。ひとつの〈ニッチ〉が満たされると、新たな〈ニッチ〉が生まれ、新しい機会がつねに作られていく。このことから〈複雑適応系〉はつねに進展し、つねに変化していることがわかる。均衡状態で停止することは、安定ではなく死を意味する。
可能性の空間は莫大なため、〈エージェント〉が最適を見いだす方法は事実上存在しない。〈エージェント〉にできる最善策は、他のエージェントがやっていることと関連させつつ、みずからを変え、改善していくことにある

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進化とは、一個の優れた動物をつくりあげようとすることではなく、組み合わせると多くの優れた動物がつくれるような〈構成要素〉を見いだすことにある。〈構成要素〉を発見するプロセスを見つけることが、莫大な可能性の空間に対峙する上での術となる。
ホランドは〈遺伝的アルゴリズム〉のコンピュータ・モデルをつくり、そのプロセスを示しだそうとした。そして、「生殖と交差、突然変異が存在することによって、平均以上の適応度を示す遺伝子ならどんなちいさな遺伝子群でも、そのほとんどが指数関数的にその数を増やしていく」という基本理論を証明した。彼はこれを〈スキーマ理論〉と名付けた。

では、その〈モデル〉はどこから生じるのか。〈モデル〉はどのようにして世界を知り、先のことを予測するのか。〈意識〉の話は持ち出せない。なぜなら脳のない単細胞生物も〈モデル〉でありえるが、バクテリアに〈意識〉は生じない。
答えは、環境からのフィードバックにある。〈エージェント〉は〈モデル〉を試すことで予測が現実でどの程度うまく機能するかを調べ、内部モデルを改善していく。生物の世界において〈エージェント〉は個々の生物(種)であり、フィードバックは自然淘汰によって起こり、〈モデル〉が確実に改善したとき進化と呼ばれる。

内部モデルを改善するはたらきは、どのように生じるのか。規則を基盤にしたシステムが中央集権的に制御しているわけでも、トップダウンで予測可能な最善の規則が選ばれるわけでもないとホランドはみた。もしそのようなコンピュータ・モデルがあるとしたら、知能はプログラムそのものではなく、プログラマーがデザインしたものである。だとすれば、制御も〈学習〉によって獲得されることが重要だった。
〈エージェント〉同士が競合することによって、自発的に共生的関係を結び、相互支援のための協力関係になる。競合と協力は正反対のものではなく、深いレベルでは同じコインの裏表をあらわしている。すべての〈エージェント〉に一貫性があるというのは幻想である。

そこでシステムの制御権は〈エージェント〉が提示する複数の仮説から〈もっともらしさ〉を選び取るという形をとった。いくつかの仮説が矛盾していたら、それは危機ではなく、好機であった。どれがより〈もっともらしさ〉をもつかをシステムが経験から学ぶチャンスとなるから。

この〈もっともらしさ〉の選択が、環境からのフィードバックによって為される。〈エージェント〉が正しいことをして環境から〈報酬〉つまり〈ポジティブ・フィードバック〉を得たとき、関連する〈エージェント〉たちの信頼性が強化される。そして、まちがったことをしたときには信頼性が低められる。マシンラーニングの走りであり、ホランドの命名によると〈クラシファイア・システム〉である。

問題のコンテクストが定義されていないケース、また環境が時間の変化に対して定常的でないケースにおいても、〈学習〉は生じる。進化にとって問題が定義されているかどうかはどうでもいいことであり、〈エージェント〉はただ報酬に対して反応しているにすぎない。その報酬がどこから来ようが〈エージェント〉は詮索しない。

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1980年代後半、アメリカ・ルイジアナ州最高裁判所でとある審理が行われていた。「学校でダーウィンの進化論を教える際に、同等に〈創造科学〉も教えなければならない」とする州法の是非を問う審理だった。

[〈創造科学〉とは、創造主による天地創造が事実であるとする立場。聖書を文字通り信じるキリスト教原理主義で、進化論否定論に通じる。知性ある何かによって、生命や宇宙がデザインされたとする〈インテリジェント・デザイン〉もここから派生した。なおカトリック教会は、1996年にローマ教皇ヨハネ・パウロII世が進化論を公式に認めた]

サンタフェ研究所のマレー・ゲルマンは、ノーベル賞を受賞したアメリカの科学者たちのほとんど全員を説得して、同法の撤廃を求める書面に署名させ、法廷に提出した。結局最高裁は同法に違憲判決を下し、廃棄する判決を下した。いわゆる進化論裁判の決着である。

ゲルマンは撤廃活動の過程で、原理主義者に限らず、すべてが偶然から生じたとする進化論に違和感を表明する人びとを知り、ホランドに依頼をした。コンピュータ・プログラムとして、進化が目に見える形で表せないか、という依頼だ。何世代にもわたる偶然と選択がどのように作用し、進化が生じるかを示したいということだ。

ホランドは、進化が単なるランダムな突然変異と自然淘汰によって起こることではなく、創発や自己組織化の過程を経ていると思っていた。
エコシステムの中で、生物は単に進化するのではなく、〈共進化〉する。互いに競争、協力しあい相互依存の関係を築くことで、周囲の環境に対して適応した無数の生物を生み出してきた。プログラマーが規定して外から与えられる報酬によってではなく、〈エージェント〉間の競争関係によって、自然界における複雑化と特殊化が起こる。リチャード・ドーキンスの言う〈進化の軍拡競争〉である。こうした協力関係が起こるようなプログラムをホランドは組んでいった。

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生命の本質は分子にではなく組織化にある。互いに適応しあう経済、社会、エコシステムにおいて、創発がどのように起こるのか。そのシステムを理解するには、協力と競合が織りなす〈共進化〉を理解しなくてはならない。

そしてシステムは「それがどのようにできているか」よりも、「それがどのように振る舞うか」という観点からみることが重要となる。〈秩序〉と〈カオス〉の両極端のバランスその両極端のあいだの〈カオスの縁〉と呼ばれる相転移が起きる場所で「生きたシステムの振る舞い」を見ることができる〈学習〉と進化によってこそ、システムをそうした〈カオスの縁〉に向かわせることができる

〈構成要素〉はがんじがらめに固定されていてもならず、またバラバラの混乱状態になってもいけない。コネクションがあまりまばらでも変化は起きず、コネクションがあまり密だとネットワークが沸き返ってカオス状態になってしまう。情報を蓄えることのできる安定と同時に、情報を伝えることのできる不安定さを持ち合わせていること。すると〈複雑性〉をもって世界に反応し、自発的で、適応的な組織化が可能となる。

フィードバックと調節を絶えず行い、それによって自己を統制すると同時に、創造し、変化し、新たな条件に対応できる十分な余裕が残されていること。情報が下から上に流れるのと同時に、上から下へも流れるような管理の階層構造があること。進化はそのような柔軟性が保証されたボトムアップ方式の組織を持ったシステムでよく起きる。

そして進化が起きるときにはつねに以前より複雑かつ精巧な〈構造化〉が生じる。雲はビッグバン直後の宇宙の状態より構造化されており、現代の経済はメソポタミアの都市国家の経済よりも構造化されている。

〈学習〉と進化が、〈エージェント〉を複雑さが増す方向に〈カオスの縁〉に沿って動かしていく。変化が増幅され、やがてそれが安定して、その安定状態がつぎの破壊が起きるまで続く。代謝が入れ代わり立ち代わりしながら継続していく。そういう安定のための〈フィードバック・ループ〉を持った〈創発的構造〉から、進歩という概念を表現していく。

より高いレベルのものが十分な多様性を持って蓄積されることで、相互作用によって相転移が起き、さらに高いレベルのものが生じてくる。低次のものから高次のものへと階段状の発展が見られるよになる。そして〈エージェント〉が適応度のレベルを変化させていくことで、システム全体が〈カオスの縁〉へと〈共進化〉していく

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複雑性の革命が起きている。これには還元主義の正反対であり、従来の科学の方法であった演繹法では解くことのできない帰納法が使われる。

20世紀初頭にはラッセル、ホワイトヘッド、フレーゲ、ウィトゲンシュタインたちが、数学はすべて単純な論理の上に構築できることを示そうとした。部分的にそれは正しく、数学のかなりの部分がそうできる。ただしすべてではない。1930年にクルト・ゲーデルが数学における不完全性定理を示し、1936年にはアラン・チューリングが単純なコンピュータ・プログラムにおいて決定不可能性を示した(停止性問題)。また1960年代から1970年代において物理学者たちは、カオス理論から非常に単純な方程式にも予測不可能な結果が生まれることを見つけた。

単純極まりないシステムから出発したものが、複雑で予想もつかない結果になっていくことを、複雑性は示し出している。そこにある要素は同じだが、つねに自己を再配置しつづける世界は変化するパターンであり、部分的に反復はしても、そっくりそのまま繰り返すことは決してなく、同じものが現れないパターンとしてある。私たちもまた決して変化することなくつねに変化しつづけるこの世界の一部である。

私たちは、複雑なシステムにおけるメタファーと語彙を創り出すことができる。同じパターンを正確に繰り返すことのない世界で、それでも同一のテーマが語れるのはメタファーを使っているからだ。
政策決定においても適切なメタファーを見つけることに深い関わりがある。誤った政策決定には、ほとんどの場合に不適切なメタファーが採用されている。科学もまた主にメタファーによって成り立っている。メタファーの種類が変わることで、人びとの世界観にパラダイム・シフトが起こる

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第1章〜第4章

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M・ミッチェル・ワールドロップ『複雑系 生命現象から政治、経済までを統合する知の革命』田中三彦・遠山峻征訳、新潮社、1996年。

第5章〜第9章

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M・ミッチェル・ワールドロップ
サイエンス・ジャーナリスト。ウィスコンシン大学で素粒子物理学の博士号を取得。十年間にわたり、「Science」誌のシニア・ライターとして活動。

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