2022年7月15日、『存在の客』という名のオールナイトパーティを、神宮前bonoboで開催しました。大雨降りしきるなか、パフォーマーとしてお声がけしていた16人を含め、107名の方々がつどいました。
「いろんなタイプの人間が絶妙なバランスで存在していた」とか「長い時間だからこその人との関係が流れていくことが久しぶりで何か感覚を呼び起こされるような時間」とか「満員が続き、ボルテージも常に高く、能動的な素晴らしい催し」といった言葉をいただき、これらの言葉は響きあうようにして、このパーティの場に生じた価値を表しているな、とあらためて思いました。
いろんなタイプの人間=ふだんの生活圏ではなかなか交じりえないひとたちが共にそこにあること。場の雰囲気や空気感をつくりあげ共有しあえる、絶妙なバランスでそれらの人びとが存在していること。人との関係が、出会いそしてまた別れていく流れの中にあること、つねに流動的であること。その流れの中にみずからの身を置くことが、何か感覚を呼び起こしてエモーショナルな体験として心に留まること。場のボルテージがオールナイトの長い時間においても、時間ごとにあらたな刺激を生み出して高まりをみせつづけること。参加する誰もが能動的であること。
こうしたことは、パーティにつどってくれた人びとの信頼に足る、場への「参加」のありかたによって紡ぎだされたものです。
パーティという場において、そこにつどう人びとの「参加」をうながしたいのです、しかし作為的(artificial)でなく偶発的(accidental)に。作為から逃れ偶発を企図するという、この矛盾したシチュエーションを場としていかにつくりあげることができるか、が最近のテーマです。
つぎに開催するとしたらどんなかたちがよいだろうか、と考えはじめています。
いちど規模をちいさくしてつどう人びと同士の親密さをもっと高めてみるとか、思いきって開催期間をながくとり「なにも起きない」を当たり前の状態にしてみるとか、ちょっとちがったかたちを思い描いてみています。
なにかいっしょに考えてみたいひとがいたらやりましょう。