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雑感『CURE』

「あんた誰だ?」

劇中、間宮という男はこの問いを繰り返す。「ここはどこだ」「いまはいつか」とも。英語の5W(What, When, Where, Why, Who)が、他者(あんた)と自分(俺)に常に向けられる。
もちろん、刑事の高部に対しても、間宮の「あんた誰だ?」は繰り返される。これに対し、高部は最初「捜査1課の高部だ」と答えるが、取り調べと精神病院での面会を経て、間宮の中で「刑事さん」という呼び方が定着する。一方で自分の名前である「間宮」も、高部との濃密なコミュニケーションを通し、そう呼ばれることを受け入れるようになる。少なくとも画面上では、高部と間宮の間に5Wのやりとりは存在しなくなっていく。

そもそも、高部が病院で間宮と接触した折、間宮は氏名不詳、身元不明の青年であった。高部は青年のやけど痕から、焼却炉を持つ工場とも産廃処理場ともとれる施設にたどりつき、メスマーに関する署名入りの論文原稿と、「×」の形に喉を裂かれた猿のミイラを発見。彼が「間宮邦彦」であると同定するに至る。
「間宮邦彦」という人物は、武蔵野医科大学精神科に属する医学生であり、この施設に住み込みで働いていた。彼が研究していたメスマーは、18〜19世紀オーストリアの医師で、天体から発せられた磁気が人間や動物の神経に作用するという動物磁気説を提唱して病気の診療を行っていた。これは一種の暗示療法と言われている。

メスマーゆずりの暗示、催眠による殺人教唆。すべての事象は、青年を間宮と同定すると、ぴたりと符合する。実際、われわれ観客は教師の花岡、巡査の大井田、医師の宮島が間宮によって「催眠」をかけられ、殺人を犯し、「×」の字の傷を入れる(た)場面を見せらせる。間宮の介在により、人々の隠されている憎悪、欲望、殺意が解放されるさまを存分に見せつけられている。

しかし、間宮は本当に「間宮邦彦」なのだろうか。最初に「間宮」の名を彼に告げたのは、千葉の海岸で出会った花岡という教師であった。花岡はコートについていたクリーニング店のネームタグを見て、「間宮さん」と呼びかける。もちろん間宮はそれが自分の名前であると認めない。あるいは、「間宮さん」と呼びかけられたことを瞬時に忘れてしまう。

クリーニング店については、高部が訪れる場面が二つ出てくる。精神を病んでいる妻は、外出すると帰ってこられなくなる可能性がある。高部は買い物やクリーニングを「引き受ける」ことで、妻を家庭内にしばりつけているとも言える。
さて、最初のクリーニング店の場面では、中年の男性が先客としており、ぶつぶつと誰かを罵倒している。上司や同僚や取引先への愚痴なのか、妻への不満なのかわからないが、直接本人にぶつけるたぐいの不満ではなさそうだ。高部は男のようすに少し動揺するも、店主が奥から戻ってくるまで、いささか気まずい時間を過ごす。
この気まずさは、男が狂気のかけらを見せていなくても生じるものだろう。なぜなら、クリーニング店という空間は店主と客のみの関係を前提としており、客同士の関係性は捨象されている。なので、店主のいない間、客同士は居心地のよいとは言えないディスコミュニケーションの時間を過ごすことになる。
一方で店主と客の一対一の関係が保たれているとき、店主が姿を消せば、そこには都会にぽっかりと空いた自分一人の時間と空間が表出する。件の客はその時間と空間を与えられ、極めて私的な愚痴を発声していた。そこに高部は現れる。しかし男は私的な愚痴をやめない。店主が戻ってきて初めて愚痴をやめ、品物を受け取り、何事もなかったように立ち去る。
この場面ではこういった都市生活者の空虚さとともに、クリーニング店での店先において他人同士が等価となる瞬間を描いている。男性客は、高部が表出しえない愚痴を代弁しているとも言える。そして、高部自身の秘められた愚痴は、のちに間宮へとぶつけられる。

もうひとつのクリーニング店の場面は、高部が伝票をなくしたことで預けた衣類が見つからないという状況を描いている。店主は「高部さんでしたよね?」と確認する。おそらく高部は劇中の二回に限らず、たびたびこの店を訪れているはずだ。しかし店主にとっては、彼の顔ではなく伝票やタグでしか認識できない。それが、先の高部と愚痴を言う中年男性の並置という状況を象徴している。われわれは都市生活において、タグや伝票なしには相手を同定することがかなわないのだ。
このことは、間宮のコートのネームタグに直結する。間宮は「間宮」というネームタグのついたコートを着ていただけだ。これは、間宮の部屋にも通底する。そこには「間宮邦彦」と署名された論文と猿の死体があっただけだ。もちろん、それだけで身柄を拘束している青年と「間宮邦彦」を同定するのは、現代の警察捜査ではありえない。彼の指紋なりDNAなりの鑑定も行われただろう。しかし、青年の異様なまでの他者との共感能力は、彼と「間宮邦彦」の入れ替わりを示唆していないだろうか。

S#65 精神病院・特別室
   部屋に入ってくる高部。
間宮「どうした? 手が震えてる」
   コートの袖に手を隠す高部。
高部「やっとわかった。間宮邦彦。それがお前の名前だ」
ーーカット替わりーー
間宮「あ、そう」
高部「間宮。メスマーって何者だ?」
間宮「誰?」
高部「メスマーだ。お前は武蔵野医科大の精神科で、メスマーと催眠暗示について研究してたな?」
間宮「何が?」
高部「お前が覚えていようがいまいが、俺は調書を作ってお前を正式に逮捕し、殺人教唆で送検する。それで終わりだ」
   高部、椅子に座る
間宮「あんた、奥さんが死んでる姿、想像したろ」

(濱口竜介『他なる映画と1』p184 『CURE』採録)

濱口竜介は上記場面で、シナリオと実際の映画の場面を比較し論考している。特にこの場面のあとに続く高部のセリフの異同に注目しているが、逆に言えばこの場面では高部も間宮もシナリオどおりに発話していることになる。

間宮は自身の素性が明らかになりそうなタイミングでも、これまで繰り返してきた「何が?(What)」「誰?(Who)」を繰り返している。それが高部をいらつかせていくが、さらにそれを加速させるかのように高部の妻の話が唐突に挿入される。
以後、高部は事件についての尋問を続け、間宮は高部とその「頭のいかれた女房」について語り続ける。自身で認めているとおり、高部にとって「女房は俺の重荷」だ。間宮はそのウィークポイントに、脈絡なく、ダイレクトに到達する(間宮が高部の妻について知ったのは、若い刑事が口を滑らせたからだ。実際に、高部が「よけいなことを話しやがって」と部下を打擲する場面が出てくる。その論理性を超越して、間宮がダイレクトに高部の内面へアクセスしているような緊張感がこの場面にはある)。

シナリオだけを読むと、一見、間宮は言い逃れのために高部の妻の話題を切り出しているようにもとれる。しかし、会話が進むにつれ、高部は間宮の話を聞くために自分の話をするという構図が出来上がる。

高部「お前のような奴がいるからだ。お前のような犯罪者が、俺の頭をピリピリいら立たせる。お前たちがいなければ、俺だって女房とうまくやっていけたんだ。だから俺は女房を許す。お前たちは許さない」
間宮「(ニコッと笑って)すごいじゃない」
高部「……(冷静に)面白かったか? 俺の話」

(濱口竜介『他なる映画と1』p183 『CURE』シナリオ)

「CURE」のシナリオでは、高部は「俺の話」を終えたのち、「(冷静に)」ターンの終了を告げている。これに対し、実際の映画では以下のような展開を取る。

高部「お前みたいな奴がいるからだ。お前みたいな犯罪者がいるから俺の頭はいつも、(頭を叩きながら)ピリピリピリピリピリピリ、いらつくんだ!
   高部は一旦机に向かい、手をつく。
高部「(間宮を振り返り)何でお前らみたいな狂った奴が楽して(また間宮の方に向かっていく)、俺みたいなまともな人間が苦しまなきゃなんねんだよ! あんな女房の面倒を一生面倒見なきゃいけねんだよ俺は!!
   振り返り机に突っ伏す高部。再びものを払い飛ばす。しばしの間。
高部「お前らがいなきゃ、俺だって女房とうまくやってけたんだ。俺は女房を許す。だが、お前たちは許さない」
間宮「すごいじゃない」
   高部が間宮の方を向く。
高部「面白かったか? 俺の話」

(濱口竜介『他なる映画と 1』p185『CURE』採録)

上記は濱口による採録であり、太字は異同箇所を彼が書き起こしたものである。濱口によると、「何でお前らみたいな~」の太字部分の変更は黒沢によるものではなく、高部を演じる役所広司の即興ではないかという。これ自体、大変興味深い考察であるが、ここで注目したいのは濱口による書き起こし部分である。

ピリピリピリピリピリピリ、いらつくんだ!

俺みたいなまともな人間が苦しまなきゃなんねんだよ! あんな女房の面倒を一生面倒見なきゃいけねんだよ俺は!!

役所による「即興」が進むにつれ、「!」が重なり、「!!」になっていくのが目に取れるだろう。実際、この場面の役所のボルテージの上がり方、またその後の「しばしの間」の不穏さは、濱口の指摘どおり「クールダウンに至る絶対的な「落差」を作り出すため」の方法論的な見方として通るだろう。
しかしあえて反論を差し込むならば、やはりここにはシナリオの意味的な変更が忍び込んでいると考えたい。それは、間宮の「すごいじゃない」の解釈に関わる。

今一度、シナリオに立ち戻ってみよう。間宮の「すごいじゃない」は、感情的になりつつも公私を分け続けようとする高部に対する「称賛」の意が含まれている。「逃げたいのはあんたのほうだ」「俺に何でも話してみろ」と誘惑する間宮。それに抗し続ける高部という軸がぶれていない。
対して、採録のほうの「すごいじゃない」は、高部が妻や犯罪者への感情を素直に引き出せたことへの称賛に意味合いがずれている。その証拠に、「すごいじゃない」の次に発せられる「すごいよ、あんた」のセリフの位置がスライドしている。

高部「……(冷静に)面白かったか? 俺の話」
間宮「ああ」
高部「よし、じゃあ次はお前の番だ。たっぷりしゃべってもらうぞ」
間宮「すごいよ、あんた」
   ふたり、しばし沈黙。
高部「……どうした? ライターがないとしゃべれないのか……ほら」
   とライターを拾い、火を点けて机の上に置く。
   と、どうしたことか急に天候が変わり、雨が降ってくる。

(濱口竜介『他なる映画と 1』p183 『CURE』シナリオ)

高部「面白かったか? 俺の話」
間宮「ああ」
高部「よし。今度はお前の番だ。たっぷりしゃべってもらうぞ」
***(カット替わり)
   椅子に座る高部。向き合う二人。
高部「どうした? ライターがないとしゃべれないのか?」
   高部、ライターを拾って火をつける。
高部「ほら」
ーーーカット替わりーーー
間宮「すごいよ、あんた
ーーーカット替わりーーー
   部屋が急に暗くなる。

(濱口竜介『他なる映画と 1』p185『CURE』採録)

若干ではあるが、後者の採録のほうが高部のマウントが功を奏し、間宮の「すごいよ、あんた」ににじみ出る感嘆が増しているように感じられないだろうか。あえて言えば、役所の好演に対する萩原聖人の賛辞が混じりざるをえないというか……。
濱口は、おそらく採録のほうはテイク2なのではないか。つまり、OKテイクが得られたうえで、ある程度自由に役者に演じさせたのではないかと夢想する。

例えばこんな風に言うのではないでしょうか。「今のはとてもよかったです。十分OKなんですが、せっかくなので次のテイク、今よりもう少し自由な感じでやってみましょうか」と。このことが、役者に冒険を許可します。「もう撮れている」という安心が、役者を自由にする。

(濱口竜介『他なる映画と 1』p189)

濱口の論考は、「CURE」やそのほかの映画を引きながら、役者が演じること(演技)、監督が演じさせること(演出)について述べている。ゆえに役者に与えられる「自由」が、特定のシーンに与える意味の変化にまでは論が及んでいない。しかし、こと「CURE」のこの場面については、「すごいじゃない」の意味の変容は、物語そのものに大きな影響を与えている。問題は複数のテイクが存在したとして、このテイクを黒沢が選んだ理由だ。

もし濱口の解釈どおりに、役所に与えられた「自由」が高部というキャラクターに怪物性を付与したとするならば、それはやはり間宮というキャラクターが使った「手口」の解釈もまた変容したととれないだろうか。

間宮は自らを「空っぽの存在」と称し、「内側にあったものが外側に行ってしまった」と言う。だから、他者の内側を空っぽの自分に取り込むことができる。公と私を厳しく峻別する人間は、間宮にかかるともろくも崩れ去る。これが基本的なラインだ。もちろん高部もその例に漏れない。しかし、上記場面の「テイク2」が示すのは、「私」を噴出した熱量をもって「公」に戻ってこれる高部の「すごさ」である。

もともと本作は「伝道師」というタイトルだったが、オウム真理教事件との兼ね合いからプロデューサー判断で改題されたという。実際、「村川スズ」という女性に催眠療法を施すビデオが登場したあたりから、急に「リング」ばりのオカルト話としてのつじつま合わせが始まる感がある。
間宮邦彦はメスマーのほかに、伯楽陶二郎という人物についての書物も有しており、彼から伝道師の資格を継承していることがほのめかされる。ラストはその資格が、間宮から高部へ継承される。高部は癒やされ、伝道師として死を振り巻くようになるーー。
空っぽな人間から空っぽな人間へ、死の伝道師の資格が受け継がれていく。物語としてのおさまりがいいといえばそれまでだし、冒頭の「間宮邦彦」の入れ替わり説もすっきりと吸収してくれるように感じる。伝道師には匿名性がふさわしいからだ。
しかし、ラストの高部=役所広司は、5Wを発するようには到底見えない。
かつては手をつけられなかった料理を平らげ、仕事(公)の電話をする。ウェイトレスとやりとりする(社会性)。生き生きしている。この映画に出てくる誰よりも。
クリーニング店の愚痴をつぶやく中年男性は、高部が登場しても「私」の領域を離れなかった。なのに、店主が戻ってきた瞬間に社会的な自分に瞬時に戻っていた。この公私の間のジャンプの鋭さ、ダイナミズムが「からっぽ」を凌駕する。からっぽの存在に「公」が宿るとき、「私」の居場所はなくなる。「公」は独り歩きを始める。暴力を社会に解き放つのは「私」の怨念ではなく、仕事をする「公」の自分なのだ。

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