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2倍 2年 2%

タイトルにした3つの「2」は、黒田・前総裁が日銀総裁に就任されて間もない頃、会見で大きなフリップまで使い宣言されたもの。

マネタリーベースを2倍にして、2年間で、物価上昇率2%を実現する

マネタリーベースというのは日銀が供給しているお金の量のことで、正確には発行したお金と流通しているお金、それに日銀の当座預金を足した合計。
つまり、世の中にある日本円の量を2倍に増やすことで、物価上昇率2%を2年間を目処に実現してみせますよ、と。

結果的に増やした流通量は2倍どころじゃなかったし、2年どころか10年経っても「持続的、安定的な物価上昇率2%」は実現できなかった。
黒田・前総裁が退任される最後の最後になって物価は跳ね上がり、昨年4月の退任会見では冒頭こう話されている。

日本銀行は 2013 年に量的・質的金融緩和を導入しました。大規模な金融緩和は、政府の様々な施策とも相まって、経済・物価の押し上げ効果をしっかりと発揮しており、わが国は物価が持続的に下落するという意味でのデフレではなくなっております。

お立場的にも、ご自身が実施した政策の成果を自賛することはあっても失敗を認められないのはわかる気がするけれど、さすがにこれは無理があるよなぁ。
物価上昇の背景にあるのは引き金となったロシアのウクライナ侵略であり、それによる原油などの資源高騰という外的要因、金利差による円安がもたらせた副作用であって、政策による効果だと思っている人はおそらくいない。

話が逸れるけれど、少し時間を遡る。

黒田・前総裁以前、過去に日銀はゼロ金利政策、量的緩和政策を2度(だったと思う)解除されている。無論これは当時の総裁をはじめ日銀が、この金融政策が非常手段だと考えられたからだと思う。

2006年の量的緩和解除の際、当時小泉政権で官房長官だった安倍元首相は、解除が早すぎると政府としての考えを当時の福井・日銀総裁へ伝えられている。しかし、日銀は解除の判断に至った。この頃から安倍元首相の日銀に対する印象は良くなかった。

その後、東日本大震災をきっかけに増税でなく大規模な財政出動が必要だという機運が党内で高まる。そのいわゆるリフレ派議員に焚き付けられ担ぎ出されたのが、量的緩和解除に反対し批判的だった安倍元首相だった。
それ以降、勉強会などでリフレ政策を支持するスーパー賢い先生らと知り合った安倍元首相の考え方は、そちらへ傾倒していくことになる。

昔、安倍元首相が本屋さんでかなりたくさんの本を購入されている場面をテレビで拝見し、ずいぶんと勉強熱心な方なんだな、という印象を持った覚えがある。
きっと真面目で、思い立ったら吉日という良くも悪くも真っすぐな方だったんだろうとぼくは思っている。
そんな安倍元首相の選ばれた日銀総裁が、”非伝統的金融政策” が大好きな黒田・前総裁だったのも必然だったように思う。

かくして、安倍元首相、黒田・前総裁というタッグによってスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組と同じくらい誰も止められない勢いでアベノミクス、異次元金融緩和が暴走することになる。
そういえば、スタン・ハンセンの決めポーズも見方によっては 「2」 だな。ということは、もしやあれも異次元金融緩和を示唆していたのかもしれないなぁ。

スタン・ハンセンのポーズはともかく、国民を乗せた日本という車にブレーキはなく、あったのは ”アクセルとアクセル” だったのだと思う。

そりゃあ、いずれ事故るわ。

つづく

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