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ヘルシーなネガティブ感情の解放から始まる自分、そして世界が平和になる旅

・おはようございます。

・今日は9月の無料日記です〜!

・昨日聞いてたポッドキャストで、トラウマ、依存症などを専門としているドクターが「私たちがいる先進国の文化はほぼ毒にしかならない」と言っていました。

・彼が毒、と呼ぶのは文化的なものであり、それが子育てに大きく反映されていて、その結果そういう子育てをされた人が無自覚なトラウマを持ち、同じような子育てを自分が親になったときにする、と。この毒のサイクルは世代間で引き継がれ、終わりがない、と。

・彼はカナダ人だけど、アメリカも、そして日本もこれに当てはまります。

・まず、子育ての大きな間違いとして彼が言ってたのは「子供を大人のように扱うこと」この「大人のように」というのは大人と同じ人権があるものとして、という意味ではなく、多くの親がしているのは大人のように理解するもの、そして理解しないといけないものとして子供を育てることです。

・例えばわがままと切り捨てられるような自己主張をすること、例えば怒りや悲しみを表に出すこと、例えば親に安心や愛情を求めること。こういうことが近代の子供には許されていないことが多い、と。1歳、2歳しか違わないような子供でも、下の子が生まれたら「お姉ちゃん/お兄ちゃんらしくしなさい!」といきなり責任のある姉/兄を強要される。何かに怒ると「そんな状態だったら自分の部屋にいなさい!」と言われる。不安な時に甘えようとすると「もう赤ちゃんじゃないでしょ!」と言われる。大人のように感情のコントロールをさせ、不快な感情を認めず、我慢させ、子供が子供でいられない子育てです。

・こういう子供たちは親を亡くす、とか、事件や事故に巻き込まれたわけじゃないけど、心に大きなトラウマを抱えることになって、それが将来のドラッグやアルコールだけじゃない、いろんな依存症や発達障害、そしてメンタル疾患や身体的な疾患にもつながる、と言っていた。

・彼はカナダ人なので、カナダで昔に起きたことも言ってたんですけど、日本のニュースにどれだけなってたか分からないので概要を。

昔、カナダでは先住民の人たちを白人の文化に馴染ませようと、寄宿学校に先住民の子供たちを入れていた(ほぼ拉致、誘拐の場合もあったそうだ)。その学校で日常的な思いつく限りのひどい虐待が行われ、亡くなった子供たちは学校の土地に埋められ、最近発見された遺骨は1000人を超える。というもの。

わたし的超概要

・こういうことがあって、生き残って無事に家に帰ることができた先住民の子供たちはみんな明らかなトラウマを抱えて生きていくことになり、そのストレスから逃れるために依存性の高いものの中毒になり、ヨーロッパ中心の近代化された文化により、以前だったらコミュニティ全体で子育てしていたものが核家族が当たり前になり、自分の傷すら癒えない親が子育てをどうしたらいいかわからないまま育て、その結果現在のカナダの先住民の人たちの家庭内暴力や依存症、発達障害、メンタル疾患や身体的な疾患、そして犯罪も異常に多い、という話だった。こう聞くと、ひとつのトラウマがものすごい長い間この世界に存在し続けるんだな、と理解できる。

・中でもめちゃくちゃわかる!と思ったのが、親だったら聞いたことがあるかもしれない子育て論で、「赤ちゃんは泣いた時に抱き上げるから泣くのが癖になる」という話。これ、むちゃくちゃだな、と思ってたので、わたしは子供が自分を必要としているとき、不快なとき、不安なときは理由はなんであれ抱き上げる、ハグする、ということをしてきました。

・このドクターは「赤ちゃんが泣いた時に抱き上げられなくて泣かなくなるのは親に対しての(悪い意味の)諦めだ」と。そしてそれが無意識だけど世界への不信や自分が愛される(抱き上げられないので)価値がない、というトラウマにつながる、とも言っていた。

・もちろんあらゆる時に泣かない(泣くのを諦めた)赤ちゃんは育てやすいかもしれない。だけど、子供は子供でいる権利があるし、子供は子供であるべきだとわたしは思う。赤ちゃんは泣くのが仕事、ということも聞いたことがあるけど、そっちの方が自然じゃないかな。

・これが、例えばあなたが友達のサポートを必要としているときに、その友達に無視されたらどう思います?あなたはそこから何を学びます?多分「この人はわたしのことなんてどうでもいいんだな」と思いません?

・もう1つ興味深かったのが、「そうやって愛情を与えすぎて子供が親離れできなくなるんじゃないか?」という質問に対して答えていたこと。それについての研究もきっちりされていて、親離れできない、親との依存関係になってるような関係は子供が必要な時に愛情を与えた場合ではなく、親が子供とのふれあいや愛情の確認が必要な時に親の都合で愛情を与えていた場合だ、と。特に親が必要以上に不安を持っていて、その結果過保護だったりした場合がそうなる、と言っていた。逆に、親の都合ではなく、子供が愛情を欲しがっているときにたくさん与えられた子供たちの35年後の調査では精神的に自立し、社会的にも成功している度合いが一番高かった、と。本当に親が子供に与える影響って興味深いですねえー。

・だけど、これ、普通の人間関係と同じなんですよね。相手が必要な時に何もしてもらえず、自分勝手に自分の都合でハグとかしてくる人のこと、心の底から信頼できます???表面上は自分のこと必要なのかもな、と思うかもだけど、無意識で「え?自分の都合のいい時だけ?なんなんこの人?」って思うはず。

・自分が自立心がある時に先回りしてあれもこれもしてくる人がずっとそばにいたら「自分もできる!」っていつ思えるようになります???先回りしてあれこれされる=自分にはそれをやる能力がないからだ、という隠されたメッセージを無意識で受け取ることになると思うんです。そしたらその子に待ってるのは大変な未来かもしれない、、、。

・このトラウマの鎖を切るのは、単純に自分のトラウマに気付くこと。ちょっと厳しい躾をされた、ということをトラウマと認められない(認めたくない)人はたくさんいるそうですけど、それをしないと癒しのジャーニーは始まらないらしいです。行きすぎた躾かどうか自分で理解するポイントは「自分が親にされた同じことを自分の子供にするかどうか」だそうです。「親からされたことはただの躾だと思うけど、同じことは自分の子供にはしない」ということがすでに矛盾してますもんね。

・心理学的には自分の経験を「正当化したい」という気持ちが働くのでここを認めるのは至難の業かもしれないけど、できるだけフラットに、客観的に見られると少し楽になるのかもしれない。あくまで「自分は辛かったけど、躾として当たり前だった」はあり得ないです。この何がトラウマだったのか?ということで、フォーカスするべきものは自分の気持ちですから。親のした躾が辛かった=親が自分を憎んでいた/親が悪い、ということでも決してないです。ここを全部混ぜちゃうと「毒親」なんていう言葉になっちゃうのかもしれない。このドクターいわく、毒なのはあくまで文化、ですよ、というお話なので、親を責める必要はない、とわたしも思いますですよ。

・そこから、トラウマを認めたら出てくる怒りの感情、悲しみの感情を解放してあげる。ヘルシーな怒り、ヘルシーな悲しみを十分感じる。そうやって解放された人たちの例をたくさんあげてらっしゃいました。どこまで相関性があるかはいろんな側面からの研究がまだまだ必要だと思いますが、1つのアイディアとして理解していただくと幸いです〜。

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・では!子供にだって、自分にだって、周りの大切な人にだって、余裕があったら知らない人にだって、見えないトラウマがあるかもしれない。思いやり&思いやりで過ごしたいですね!!!

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