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『トップガン マーヴェリック』を見たら、面白さとは何なのかを考えさせられた
ストーリーに関しては公開されている情報以下のことしか書かないので、ご心配なく。
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この週末、大ヒット中の『トップガン マーヴェリック』を観てきた。
前作から36年の空白を経ての「続編」である。
前作を見たのはまだ学生だった頃。包み隠さず言えば、それほど面白い映画だとも思わなかった。
もちろんそれ相応に面白くは観たのだけれど、無鉄砲な天才パイロットが葛藤と挫折を経てライバルたちと成長していくという、それまでにも散々観たようなセオリー通りの筋に感じて、特筆すべき面白さは見当たらなかった。
36年越しの新作はどうだったか。
これが果てしなく、とめどなく面白かった。
僕は映画館で映画を1本見ると、だいたい半分ぐらいをすぎた頃には古傷を抱えた膝が痛み出して、椅子に座ったままモゾモゾと身をよじって痛みを散らすようになる。
ところが今作は最後の最後まで見入ってしまって、痛みを感じることも忘れていた。それほどに面白かった。
映画に限らず、様々なものについて構造やら製作者の思惑やらを想像したり裏読みする悪い癖があるのだが、今作はそうした習性では済まないほどいろいろなことを考えさせられてしまって、上映が終わった直後はヘロヘロになって立ち上がれないほどだった(もちろんストーリーに没入した疲労感も山ほどあった)。
いちばん考えて、今も考えさせられているのは、「面白さとは何か」ということ。
今作も様々なことを削ぎに削いだ最後に残るストーリーのコアは前作と大差ないシンプルなものだ。「生ける伝説のパイロットが若く優秀なパイロットと共に困難な問題に立ち向かい、葛藤を乗り越えて成長していく」。突き詰めればこれだけである。それなのに途方もなく面白い。
では何をしたら単純な物語が面白くなるのか。製作者たちが何をしたから、今作がここまで面白くなったのか。それを考えていたら、手の込んだ仕掛けのあまりの多さにノックアウトされてしまったというわけだ。
いちばん簡略にまとめてしまうと、「面白くすることに全力で傾注して行くと、結果はこうなる」という見本のようなものなのだと思う。
36年ぶりの続編であることすら作品の必然性に取り込み、もちろん大ヒットとなった前作を当時見た人たちを懐古趣味的に歓喜させる設定を作り、小ネタを散りばめ(ヴァル・キルマー演じる「アイスマン」を、ヴァル・キルマーの健康上の問題を踏まえた設定にしているところなど、オールドファンは感涙ものだったと思う)、それでいて今作で初めて『トップガン』を見る観客を置いてけぼりにしない筋立てにしつつ、ちゃんとトム・クルーズ演じるマーヴェリックをマーヴェリックとして —— 一瞬、あれ?ピート・ミッチェルだよね?と思わされるところもあったけど、それはちょっとしたジョークだろう —— 隙のないように徹底的にストーリーを練ってあるのだ。
面白い小説はなぜ面白いんだろうかと考えたときに、手に汗握るような展開だとか、凝りに凝った設定だとか、物語としての厚みだとかという点に理由を探しがちなのだけれど、今作を見て「いやいや、面白さの理由ってのはそんなところに潜んでいるんじゃないな」と気づいた。
発想やアイデアよりも、どうしたら面白くなるかを徹底的に考えて、練りに練った方が、結果は面白いものができあがる。
小説はとかく一人の人間が考えて、書き上げて、その作家の考えやら何やらを訴えるのが良と受け止められているフシもあるが、小説を一つのエンターテインメントとして捉えるならば、存外複数の人間が寄ってたかって作っていく方が面白いものが出来上がるんじゃないかと思ってしまったのだった。
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