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勝敗のドラマを蒐集する

オリンピックも本格的に競技が始まって1週間。
いつものように安定の疲労感で、中継を見ては毎夜ベッドに倒れこむ状態になっている。

それでも競技を見続けてしまうのは、毎日たくさんの勝者と敗者が生まれるからだ。その瞬間を見逃せないと、何もしていないのに何故か疲弊する身体と頭に鞭打って、勝敗が決していくプロセスをせっせと蒐集するというわけである。

こう書くとなんと品のないヤツだと思われるかもしれないが、それぞれの競技の世界大会が専門店が並ぶ商店街だとしたら、オリンピックは「そこに行けばすべてがある」百貨店なのである。
百貨店にあるのは多種多様な競技だけではない。圧倒的な勝利も接戦を制した勝利も、大敗も惜敗もすべて揃っているのだ。

もちろん勝者や敗者も様々で、下馬評通りの勝者もいれば、大金星をあげた勝者、ノーマークから彗星のごとく現れた(これまた手垢のついた言い方だ)ニューヒーローにニューヒロイン。快進撃でチャンピオンまで上り詰める選手がいれば、土俵際まで追い詰められてからの逆転でチャンピオンの座を掴み取った選手まで、勝者のありようも様々なのだ。

同じことは敗者にも言える。
自分の実力を発揮してなお敵わなかった選手、次のオリンピックに捲土重来を期して舞台を去る選手、衰えから一線を退く選手、納得の行かないまま競技を終える選手。そこに生まれる悲喜こもごも、選手を勝者と敗者に分ける試合のプロセスまで、予想不能なドラマのサンプルが日々生み出されるのだ。

スポーツに関心のない人はオリンピックを見ても面白さを感じないのかもしれない。
ライトなナショナリズム気分で自国の選手を応援して、試合結果に一喜一憂するのが関の山なのも仕方がないとも思うけれど、物語を作る人、作らんとしている人なら、オリンピックを観戦すること、観戦しながら一喜一憂する自分の気持ちを観察するのは無駄ではないと思う。

柔道で連覇を達成した大野将平が試合後のインタビューで「見てくれている人が心を動かす瞬間があったのだとすれば光栄です」と語っていたが、まさに見るべき理由はそこにこそある。
どうして競う姿を見て心が動くのか、どんな時、どんな結果に心が動くのか。心が動かされた競技、試合はどんな展開で、どのタイミングで心が動き始めたか。それらはすべて物語を作る肝そのものなのではないかと思う。

スポーツ経験者として言わせてもらうと、競技をする選手の顔が良く見える競技 —— 例えば明日最終日を迎える柔道などは瞬間瞬間の選手の気持ちが表情に現れて、わかりやすい。闘争心を全面に出したり、焦ったり、手を封じられて困惑したり、諦めたり。
そうした選手の感情が画面からも伝わってくる競技はオススメだ。

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